観音平・天神堂古墳群とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 観音平・天神堂古墳群の意味・解説 

観音平・天神堂古墳群

名称: 観音平・天神堂古墳群
ふりがな かんのんだいら・てんじんどうこふんぐん
種別 史跡
種別2:
都道府県 新潟県
市区町村 新井市籠町宮内
管理団体
指定年月日 1978.03.24(昭和53.03.24)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S52-12-030観音平・天神堂古墳群.txt: 頸城平野の西縁の奥地新井市は、西に妙高火山麓が裾野として広くひろがり、東は頸城平野一画占めている。この妙高山麓裾野には著名な史跡斐太遺跡があり、その北、南に接して観音平・天神堂古墳群の大古墳群がみられる
 観音平古墳群は、斐太遺跡の北に接す丘陵所在する。この古墳群のうち、青田集落背後青田支群は、14基の円墳からなり、この青田支群の南、県道へだてた観音平支群には、方墳1基、円墳37基、計38基が集中して存在する。この古墳群は、規模大きい諸墳は台地縁辺に、小規模な古墳はその脇や奥まった位置占地している事実明確にみられるほか、38基中20基に幅2~3メートル前後の溝をめぐらしている事実あげられる
 天神堂古墳群は、斐太遺跡所在する丘陵南方400メートル丘陵上に位置する。現在、方墳2基、円墳105基、計107基が確認されており、過去消滅したことの明らかな11基を加えれば本来は118基が存在したものと考えられる。これらの古墳は、3群に分かれ、1群は台地先端部(東縁)にほぼ南北分布している円墳27基、第2群尾根上に一列に連らなる22基と孤立する2基を含む24からなり、うちに2基の方墳含んでいる。第3群は、台地北側縁に東西群集し67基の円墳からなっている。これら天神堂古墳群107基のうち、幅2メートル前後の溝をめぐらすものが72みられる
 本古墳群は、ほとんど発掘調査が行なわれておらず、埋葬施設などは明確ではない。横穴式石室竪穴式石室若干確かめられているので古墳時代中期末から後期にわたり営造されたものと思われ古墳群形成過程知りうるでも、また北陸地方極めて顕著大規模な古墳群として価値の高いものである
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  観音塚古墳  観音寺城跡  観音山古墳  観音平・天神堂古墳群  角塚古墳  角牟礼城跡  詩仙堂

観音平・天神堂古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/06 20:08 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

観音平・天神堂古墳群(かんのんだいら・てんじんどうこふんぐん)は、新潟県妙高市にある古墳群。観音平古墳群(位置/地図)と1kmほど離れた天神堂古墳群(位置/地図)の2つの古墳群から構成される。国の史跡に指定されている。

観音平古墳群

観音平古墳群

3群38基前後からなり、前期の前方後円墳を含み中期の初期群集墳を主体とするようである[1]。尾根上の最高所に帆立貝形古墳の1号墳が存在し、方墳の3号墳をへて前方後円墳の4号墳が続く。下位の緩斜面部には墳頂平坦面の広い中期の円墳が主に群在する。2001年に1~4号墳の発掘調査が実施されたが、葺石は確認されず埴輪も出土しなかった。なお弥生時代の方形台状墓などが混在する可能性もある[1]

1号墳

3世紀後半のものとみられる[2]新潟県内では珍しい帆立貝形古墳。全長約26.8m、後円部径約21.4m×約20.0m、前方部長約5.4m、前方部幅約4.8m、くびれ部幅約4.5m[2]

4号墳

1号墳に隣接する前方後円墳。全長約33.6m、後円部径約19.0m×約23.0m、前方部長約11.6m、前方部幅約7.0m、くびれ部幅約5.0m[2]。形状は1号墳と似通っており、古式の特徴を備えている。1号墳と同様に古墳時代初頭まで遡る可能性をもつ[2]

天神堂古墳群

天神堂古墳群

大きく3群・計188基からなる[3]。最高所に位置する1号墳は方墳で、その他はほとんどが円墳である。規模は5~20mほどである。葺石は確認されていない。古く東京大学によって数基の古墳の発掘調査が行われ、直刀鉄鏃土師器などが出土している。出土品からは5世紀末の時期がうかがわれる[3]。ほかに麓近くに横穴式石室をもつ古墳があり、傾向として高所にあるものが古く下位にあるものが新しい。一部は6世紀後半台に下る可能性もある[3]

6号墳

古墳群で最大規模の円墳であり、直径は20mを上回る[2]。墳頂部の表土下約0.3mの地点から土師器片、さらにその下約0.2mから鉄剣の破片が出土[2]。石室などの埋葬施設は確認されていないが、主体部の底面は粘土層で整地されていた[2]昭和32年に東京大学によって発掘調査されている[2]

文化財

国の史跡

  • 観音平・天神堂古墳群 - 1978年(昭和53年)3月24日指定[4]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 「続日本古墳大辞典」148頁
  2. ^ a b c d e f g h 斐太歴史の里:観音平・天神堂古墳群 妙高市
  3. ^ a b c 「続日本古墳大辞典」318頁
  4. ^ 観音平・天神堂古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁

関連項目

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「観音平・天神堂古墳群」の関連用語

観音平・天神堂古墳群のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



観音平・天神堂古墳群のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの観音平・天神堂古墳群 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS