頸城平野とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 頸城平野の意味・解説 

高田平野

(頸城平野 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/11 09:59 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
高田平野周辺の地形図

高田平野(たかだへいや)は、新潟県南西部に広がる平野[1][2]関川とその支流保倉川の下流部に広がる沖積平野である[3][4]越後の三大沖積平野の一つであり[2]頸城平野(くびきへいや)[2][4][5]上越平野(じょうえつへいや)[3][4][5]ともよばれる。

地理

南北の長さは約20km[2]、面積は約280km2であり[2][3][6]、三角形の形状をしている[1][2]。東部と南部は米山山地や東頸城丘陵、西部は西頸城山地に囲まれている。

南部には複合扇状地が発達しており[1][2]、最奥部(頂点)には妙高市新井市街地がある[1][7]。中心都市は上越市であり[3][6]、高田市街地や直江津市街地がある[7]

日本海岸の低湿地帯には頸城砂丘があり[3][4]、その背後には潟湖群がみられる[1][5]。高田平野は日本海側気候であり、年降水量は上越市で3000mmを超える多雪地帯である[3]

経済

高田平野

越後国ではもっとも早くから開発が行われた平野であり、古代には越後国の国府国分寺が置かれた頸城郡の中心地だった[2]。里五十公野(さといじみの)、高士(こうし)周辺には条里制遺構がみられる[2][3]。近世初期には関川の水を山麓扇頂面に流して用水路が築かれ、寛文年間(1661年-1673年)には頸城砂丘の背後にある潟湖群の大瀁潟湖(おおぶけせきこ)の干拓が進められた[2]。江戸末期には大潟が、1973年には犀ヶ池が干拓されて水田となった[1]

上越米が生産される穀倉地帯である[3][4]。頸城砂丘や周辺の台地では畑作や果樹栽培が行われている[3][4]。直江津港周辺は上越臨海工業地帯となっており、関川上流の電源開発とともに電機・化学工業が発展した[2][3]。北部には頚城油田がある[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f 「高田平野」、平凡社『世界大百科事典』
  2. ^ a b c d e f g h i j k 「高田平野」、小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』
  3. ^ a b c d e f g h i j 「高田平野」ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
  4. ^ a b c d e f 「高田平野」、平凡社『百科事典マイペディア』
  5. ^ a b c d 「高田平野」、講談社『日本の地名がわかる事典』
  6. ^ a b 「高田平野」、小学館『デジタル大辞泉』
  7. ^ a b 「高田平野」、三省堂『大辞林』

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「頸城平野」の関連用語

頸城平野のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



頸城平野のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高田平野 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS