交配による誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 03:18 UTC 版)
「マスカット・ベーリーA」の記事における「交配による誕生」の解説
日本海に面した新潟県高田(現上越市)に生まれた川上善兵衛は、慶應義塾に席を置いて勝海舟家に出入りする中で殖産興業の思想に強く心を引かれるようになった。近隣農民の収入源を確保する手段としてワイン醸造を志すようになり、ナイアガラ種やキャンベル・アーリー種など150本のブドウの苗木をアメリカから輸入し、1890年に頸城平野にあった自宅の庭園に植えた。日本のテロワールに合ったブドウを生み出すために、1922年頃からアメリカ種とヨーロッパ種の交配を行って10,000株以上を育成し、1,100株を結実させた。後にマスカット・ベーリーAと名付けられる交雑番号3986は1927年に交配し、1931年に結実した。その後、川上は東京大学農学部の坂口謹一郎らと共同で優良種の化学分析と官能試験を行い、1940年にマスカット・ベーリーAを含む22品種の推奨種を公表した。マスカット・ベーリーAはアメリカ系生食用品種のベーリー種とヨーロッパ系生食・醸造両用品種のマスカット・ハンブルク(英語版)種を掛け合わせたものである。マスカット・ベーリーAとブラック・クイーン種の2品種は日本で広く栽培されるようになり、日本産赤ワインの代表品種とされている。 川上は寿屋(現サントリー)創業者の鳥井信治郎と共同で寿屋山梨農場(現登美の丘ワイナリー)を再設立し、マスカット・ベーリーAを山梨県に導入。川上は生み出した改良ブドウ品種を請われるまま各地のブドウ園に提供したため、1953年頃から全国的に栽培されるようになった。『葡萄提要』や『葡萄全書』などを著した川上は「日本ワインの父」と呼ばれるようになり、岩の原葡萄園の園内には川上善兵衛資料館が併設されている。ブラック・クイーン種や古くから山梨県で栽培されていた甲州種(白)と合わせて、マスカット・ベーリーAは日本のワイン界で重要な地位を占めている。
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