親族との不和と暗殺とは? わかりやすく解説

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親族との不和と暗殺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 00:56 UTC 版)

スノッリ・ストゥルルソン」の記事における「親族との不和と暗殺」の解説

1222年、スノッリは再びゴジ選出されたが、ノルウェー王から総督地位与えられたことで多く島民から不審思われていた。スノッリはこの時期政治的な争い避け著作力を注ぐ一方で政略結婚によりアイスランドでの地盤固めをしようとした二女のインギビョルグをハウカ谷の小ギツル・ソルヴァルドソンに嫁がせ、彼自身はギツルの兄の未亡人ハルベイグの財産管理する約束のもと事実婚を結び、妻ヘルディースが死去する正式に結婚した1235年ホーコン4世ローマ巡礼帰路ニダロスに立ち寄ったスノッリの次兄シグヴァトの息子ストゥルラに、総督地位引き換えアイスランドノルウェー臣従させるよう働きかけ、ストゥルラはこれに応じた。ストゥルラが巡礼アイスランド不在だったとき、スノッリの二男ウレキヤがストゥルラの本拠地にあたるアイスランド北東部争い起こしており、ストゥルラはこれを口実にスノッリを殺害しよう彼に挑んだ(これに先立ちスノッリは長男ヨーン死に絡み娘婿のギツルからも離反されていた)。スノッリは和解申し入れたがストゥルラは拒否し、ウレキヤを捕らえるとホーコン王の元へ送った。スノッリは有力な首長ソルレイブや長兄息子オーラヴと共に挙兵しストゥルラと戦おうとした。しかし彼は交戦前に逡巡して戦場離脱し戦ったソルレイブらは惨敗して捕らえられた。スノッリは投降し1237年、彼らと共にノルウェーへ送られた。 そのころのスクーリ公はホーコン4世権力拡大に伴い、かつての勢い失っていた。王の一臣下甘んじるのを不服とした彼は自ら王として立つ逆転機会狙っていた。ノルウェーでスノッリはスクーリ公の息子屋敷身を寄せたが、スクーリとホーコン4世との確執際しスクーリ側と看做された。1238年8月21日アイスランド本国ホーコン4世の息のかかった次兄シグヴァトと甥ストゥルラが長女の婿コルベイン(コルヴェンドヌ)・アルドノルソンと二女の婿ギツルとの戦いで戦死した。スノッリはこれを自分地位回復する好機捉えアイスランド帰国しようと考えたホーコン4世彼の出国を許さなかったが、スクーリ公はスノッリの帰国賛成し彼に船を与えた出航直前にも王から渡航禁ずる使者が来たが、スノッリはそれを押して出帆し王の怒りを買うことになった。 スクーリ公は自らノルウェー王僭称挙兵したものの、勝敗分けるうちに戦死したホーコン4世はギツルへ宛ててスノッリを捕らえてノルウェーへ連行すること、場合によっては抹殺しても構わないことを命じ密書送った。ギツルはシグヴァト父子の件で和解したいと偽り、スノッリをおびき寄せ殺害しようとしたが失敗した折しもスノッリと共同財産管理していた妻ハルベイグが急逝し、彼女の遺児との間に財産相続巡り争い起こった遺児らは叔父にあたるギツルに不服訴え、ギツルはこれを機にスノッリを完全に打倒しようとコルベインと彼の屋敷襲撃する計画立てた。ハルベイグの遺児でスノッリに恩義感じていたオルムはこれに加わるのを拒否し警告の手紙をスノッリへ送ったが、スノッリは気に留めなかった。その理由オルム書いたルーン文字誤記があり、スノッリが誤読がしたともいわれている。 9月22日夜、ギツルはレイクホルト屋敷襲撃した就寝中だったスノッリは地下室隠れたが見つかって暗殺された。この知らせ受けたホーコン4世は「命令に従っていれば重い罰は与えなかった」と彼の死を惜しんだといわれている。彼の死後、ギツルはアイスランド提督任命され自分勢力下にある領地3分の2を王に献上したアイスランドはスノッリの死から21年後の1262年ノルウェーの支配下に置かれ始め1264年には完全に属国となった

※この「親族との不和と暗殺」の解説は、「スノッリ・ストゥルルソン」の解説の一部です。
「親族との不和と暗殺」を含む「スノッリ・ストゥルルソン」の記事については、「スノッリ・ストゥルルソン」の概要を参照ください。

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