被害者Aを暴行・殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:49 UTC 版)
「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」の記事における「被害者Aを暴行・殺害」の解説
大阪事件・殺害現場 殺害現場:大阪府大阪市中央区島之内二丁目・暴力団事務所 最初の事件となった大阪事件は1994年9月28日3時ごろに発生した。これはKM・KA・HMとUの計4人が暴力団員としての「義兄弟関係」を結んでからわずか2週間後だった。 KM・HMの2人は自分たちの縄張りにしていた大阪市中央区道頓堀一丁目の繁華街で、被害者・男性Aとその友人男性(いずれも当時26歳)の2人とトラブルになった。KM・HMは2人を何度も殴りつけ、小突きながら事務所前まで連れて行ったが、Aの友人は隙を見て逃げ出したため、残るAを拉致・監禁した。KM・HMは事務所でKA・Uに対し「こいつ(A)を人夫として工事業者に送り込むつもりだ」と説明し、Aの着衣を脱がせてトランクス1枚にしたほか、その両手をベルトなどで後ろ手に縛り、口の中に靴下を押し込み、顔面にガムテープを巻き付けるなどして身動きを取れない状態にした。その上で4人は同日朝まで同室内で賭けトランプなどに興じたが、いかさまに気付かず1人負けしたHMはその腹いせにAを数回足蹴りするなど暴行を加えた。 また4人は同日午後にかけて数回にわたり工事業者と連絡を取ろうとしたが、うまくいかずに苛立ちを募らせた。同日19時過ぎごろにはKMがHMの女友達に耳掃除をしてもらったが、それを見たHMは八つ当たりにAの身体を足蹴にし、女友達らを連れていったん外出したが、忘れ物に気付いて室内に戻ったところ、KAたちから「関係のない女友達の前で暴行をするな」「格好をつけるな」などと非難されたため、腹いせに再びAの体を足蹴にした。これにKM・KA・Uも加わり、こもごもAの身体を足蹴にしたり、ベルトで殴りつけるなど暴行を加えたほか、Uが火の付いたタバコをAの背中に押し付けたり、KMがライターオイルをAの背中に垂らして着火したり、HMが火傷したAの背中をボールペンで突くなどした。そして最終的には「こいつは工事業者に送り込めないし、負傷している」とAの処置に困惑し、「Aを消してしまおう」「やってしまおうか」などと話し、UがAに対し希望する死に方を尋ねるなどした。その後、KAがAを連れてきたKM・HMにAの処置を尋ねたところ、KMはHMに「お前はどうする?」などと言い、暗に犯跡を隠蔽するためAの殺害を持ち掛けた。するとHMもその意図を察知して「一番格下の自分がAを殺害しなければならない」と決意して「俺がやりますわ」などと答えたため、KM・HMの間でAを殺害する旨の共謀が成立した。「当初の恐喝目的からいつの間にか殺人にエスカレートする」という異様な状況だったが、4人の中に「待った」をかける者は誰もいなかった。 1994年9月28日19時30分ごろ、KM・HMは大阪市中央区島之内三丁目のビル室内で殺意を持って、うつぶせになっていた被害者Aの頸部に前から革のベルトを掛けて巻き付け、後部で交差させた上、その両端を強く引っ張って絞めつけた。やがてKA・Uも加えて4人で代わる代わるベルトの両端を引っ張ってAの頸部を絞めつけ、20時ごろに被害者Aを絞頸により窒息死させて殺害した(殺人罪)。被害者Aが血の混じった鼻水を出したり失禁したりしても4人は躊躇せず、Aを確実に死亡させようとさらに首を絞めた上、たばこの火をAの遺体に押し付け、反応がないことを見てAの死亡を確認したほか、「腹が減った」として同じビルの1階にあった中華料理屋に行き食事をした。
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