表象と象徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 22:43 UTC 版)
土地の神格化によって誕生したアッシュル神は、元来定まった図像表現を持っていなかった可能性がある。メソポタミアの神は一般に人間の姿をしているが、初期のアッシュル神はそうではなかったかもしれない。アッシュル神が「人の姿」を明確に獲得するのは中アッシリア時代の前13世紀である。 中アッシリア時代以降、アッシュル神がバビロニアの神々と習合されるようになると、バビロニアの図像表現がアッシュルに適用された。バビロニアではカッシート王朝(前16世紀頃-前1155年)以降、多くの神々がシンボル(象徴)を使ってあらわされるようになった。角冠(アヌ、エンリル)、ヤギ魚・カメ・羊頭(エア)などがそれにあたる。アッシュルにはアヌ及びエンリルと同じ角冠がシンボルとして割り当てられた。バビロンの都市神マルドゥクのシンボルである鋤がアッシュルに採用されることはなかったが、その随獣である蛇竜(ムシュフシュ)はアッシュルに奪われた。 幾人かの学者が、アッシリアの図像において頻繁に登場する有翼円盤(英語版)のいくつかはアッシュル神を表象したものであると主張しているが、決定的な根拠はない。このような円盤の図像には以下のようなものがある。 有角有翼円盤。中央の円の周りを回転する4つの円が囲む。波状の光線が円盤の両側から落ちる。 翼から吊るされた円盤または車輪。その中に弓を引いて矢を構える戦士が描かれる。 上記と同様の円。戦士と弓が描かれるが、弓は左手に持ち、右手は自らを崇拝するものを祝福するかの如く掲げられる(画像を参照)。 アッシリアにおいてアッシュル神は頻繁に人名の構成要素として採用されている。王名のアッシュル・ウバリト、アッシュル・ナツィル・アプリ(アッシュル・ナツィルパル)、アッシュル・バニ・アプリ(アッシュルバニパル)など類例に事欠かず、『アッシリア王名表』記載の100名超のアッシリア王のうち30人に達する。アッシュル神の枕詞にはbêlu rabû(偉大なる主)、ab ilâni(神々の父)、šadû rabû(大いなる山)、il aššurî(アッシュルの神)などがある。
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