蘇演以前・以後とは? わかりやすく解説

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蘇演以前・以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 08:33 UTC 版)

ディドとエネアス」の記事における「蘇演以前・以後」の解説

本作作曲当時イギリスでは、伴奏無しの普通の台詞による演劇好まれ歌と踊りを伴うマスクmasque仮面劇)も隆盛したが(このマスク音楽と劇を結びつけた歌劇イギリスにおける基とはなったが)、歌劇にまでは発展していなかった。オリヴァーリチャードクロムウェル父子による護国卿時代に、劇場閉鎖などの奢侈弾圧政策かいくぐって初のイギリス歌劇作曲されたりもしたが(『ロードス島包囲』)、王政復古とともに護国卿時代対す反動手伝って観劇再流行し、歌劇への関心沈滞音楽あくまでも劇中音楽地位に留まった。更にチャールズ2世による音楽先進国であるイタリアフランスのバロック様式積極的に輸入されるなどすると、大陸風の歌劇が流行しイギリス独自の歌劇作曲は全くなくなった。そのためパーセル晩年5年間には劇場のための音楽40作以上作り、中にはアーサー王King Arthur or, The British Worthy)』や『妖精の女王The Fairy-Queen)』といった音楽多用する歌劇的な作品セミオペラ)も残したが、いずれも厳密に劇付随音楽である。その意味でも、自身後作劇付随音楽先駆け、かつ唯一の歌劇とされる本作は貴重でもある。 現存する楽譜パーセル自筆のものではない。恐らくは1689年再演のものと思われる台本残されているものの、その後の上演が幕分けなどでそれと異なっており、序奏失われているため、そのまま採用するには問題が多い。その理由一部当時慣習にも起因するもので、当時実演に際して興を添えるために、他作品原曲追加したり、追加はおろかまるごと置き換えるなどした結果原曲一部しか使われないことがままあったからである。なお現行版は、18世紀初頭編曲され原曲翻案(『4つ音楽エンタテインメントによるマスク』の中に含まれる)を元に20世紀になってから多く研究者演奏者パーセル原曲復元取り組んだものが多く、そのため上演録音それぞれ相違見せている。

※この「蘇演以前・以後」の解説は、「ディドとエネアス」の解説の一部です。
「蘇演以前・以後」を含む「ディドとエネアス」の記事については、「ディドとエネアス」の概要を参照ください。

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