蘇民祭の由来とは? わかりやすく解説

蘇民祭の由来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 14:49 UTC 版)

蘇民祭」の記事における「蘇民祭の由来」の解説

備後国風土記』の逸文によると「北海より南方に旅をしていた武塔神人間化身し貧し蘇民将来そみんしょうらい)と裕福な巨丹(こたん)という2人の兄弟一夜の宿求めたところ巨丹はこれを拒み蘇民将来快く旅人泊め粟飯貧しいながら精一杯もてなした。それから数年後、妻を娶り子を為した蘇民将来の所に再び武塔の神が現れ自分正体建速須佐之男命であることを明かすと共に作った輪を身に付け『我は蘇民将来の子孫である』と唱えれば無病息災約束されるであろう告げた」とされ、この逸話を基に平安時代中期には蘇民祭原形出来上がっていたのではないか考えられている。武塔神正体地域により様々で、黒石寺においては薬師如来であったとされる黒石寺残されている記録では安永2年1773年)の「黒石寺書上」に以下の記載がある。 一、年々正月七日妙見宮神事往古妙見山におひて有之右儀式ニ相用候鬼面十二有之相用申候処高山故か飛行き尤恐敷儀数多有之候ニ付其後薬師堂におひて祭礼儀式仕来候何時与薬師堂江相移申候哉往古儀ニ而相知不申候右鬼面本式ニ相宛候得者何国共なく飛行き候由ニ而何時相失候哉当時ハ二ツ相残居今ニ至る迄七日之晩子供之頭へ爲冠附人相よしたいまつ爲持参群衆の中を相廻り儀式相勤申候右子共鬼子と申唱来候 一、年々正月七日儀式ニ相用候ハ同六日ニ爲伐生割木薬師堂土間三ケ所焼切火ますます燃立候時参詣諸人東西投合 或ハ火を以打合申候是往古祭礼儀式御座候右焼木を焼木(さいとうぎ)と申唱候

※この「蘇民祭の由来」の解説は、「蘇民祭」の解説の一部です。
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