薬剤師として
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大学院修了後の1980年(昭和55年)に津村順天堂に入社し、静岡工場に勤務した。翌年、研究所に異動し品質研究部門に配属された。1986年(昭和61年)、本社に異動し新薬開発部門に配属された。1988年(昭和63年)に津村順天堂はツムラに改組されたが、その後も引き続き勤務した。その傍ら、静岡県により設置・運営される静岡県立大学の大学院に進学し、薬学研究科にて学んだ。大学院生として在学中に「サメ胆汁アルコールに関する研究――化学構造の決定とその生物活性について」と題した博士論文を執筆した。1992年(平成4年)3月、静岡県立大学の大学院における博士課程を修了した。それに伴い、同年3月24日付で博士(薬学)の学位を取得した。 1993年(平成5年)、ツムラの本社にて学術部門に配属された。翌年には本社の薬事部門に配属された。2008年(平成20年)、本社の信頼性保証部門に配属された。また、その傍ら、2003年(平成15年)より、一般用医薬品に関する業界団体である日本大衆薬工業協会にて生薬製品委員会の委員長を兼任していた。その後、日本大衆薬工業協会は日本OTC医薬品協会に改組されたが、引き続き生薬製品委員会の委員長を2009年(平成21年)まで兼任した。 津村順天堂、および、ツムラでの勤務は38年間に及んだ。ツムラを退職すると、わかくさ調剤薬局に半年ほど勤務した。2019年(平成31年)4月、一般社団法人である静岡市薬剤師会の事務局にて局長に就任した。また、母校である静岡県立大学においては、同年4月より薬学部の客員教授を兼任した。薬学部においては、講師の南彰らとともに、薬学キャリアデザイン近藤寄附講座を受け持った。
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薬剤師として
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1998年、岐阜大学医学部附属病院に採用され、薬剤部に配属された。以来、薬剤部に所属する薬剤師として活動し、2004年に退職した。同年、母校である静岡県立大学の大学院に再び進学し、博士後期課程に在籍した。薬学研究科の医療薬学専攻にて学び、2005年に博士後期課程を中途退学した。なお、のちの2008年に、「博士(薬学)」の学位を取得している。
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