芸術の頂点を極めたパティシエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 23:29 UTC 版)
「ピエール・エルメ」の記事における「芸術の頂点を極めたパティシエ」の解説
アルザスの中世の街並みが残るコルマールのブーランジュリー(パン屋)の4代目として生まれた。14歳のときガストン・ルノートル(英語版)の元で修行を始めた。24歳でフォションのシェフ・パティシエとなり自らの芸術の頂点を目指した。そのオリジナルな作品と技量、及び独自の“オート・パティスリー(高級なバティスリー)”の伝授ゆえに斯界で畏敬されている。 1996年末にフォションを去り、ラデュレの副社長を経て、共同経営者シャルル・ズナティとともにピエール・エルメ・パリを創業した。 1998年に東京・紀尾井町にある、ホテルニューオータニにて第1号店をオープン、2000年7月に第2号店千葉・イクスピアリにて「ピエール・エルメ・サロン・ド・テ」もスタートさせた。(2012年2月15日にて閉店。) 2001年には本国フランスでも存在感を発揮し、パリ6区のボナパルト通り72番地にブティックをオープンさせた。サン=ジェルマン=デ=プレのファッション街の中心に位置するこの店はすぐに人気を博して熱狂的なファンが毎日訪れ、世界中のスイーツ通にとって欠かすことのできないスポットになっている。 2004年末には、斬新な店舗デザインのパリ2号店をパリ15区ヴォジラール通り185番地にオープンさせ、「ピエール・エルメ高級パティスリー研修工房エコール・フェランディ」も開校の運びとなった。この研修工房はパリ商工会議所の威信ある料理学校フェランディ校とタイアップしたものである。 2005年2月には、“ラグジュアリー・コンビニエンスストア”の新コンセプトを掲げた日本第3号店を、「バー・ショコラ」を併設する形で東京の表参道界隈南青山5丁目交差点(神宮前5丁目、青山通り沿い)でスタートさせた。 2022年6月現在、ピエール・エルメ・パリは日本国内に14店舗(東京8、神奈川1、愛知1、京都2、兵庫1、北海道1)の他、日本国外ではフランスの他に海外8か国を展開している。2018年からはこの他、「Made in ピエール・エルメ」の事業を展開している。 大相撲平成23年7月場所より、表彰式で優勝力士に直径41cm、厚さ23cmの巨大マカロンが手渡されている。この巨大マカロンは式典用で食べられず、優勝力士には副賞として金箔でコーティングされた22個の黄金のマカロンが贈られている。
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