航空機損失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:12 UTC 版)
機種別損失数兵器名損失数備考I-16 109 うち4機が翼内にShVAK機関砲 2丁を搭載したI-16P型 I-15bis 65 I-15の改良型 I-153 22 SB-2 52 TB-3 1 R-5 2 合計 251 うち非戦闘損失43 日本軍による戦果報告では航空戦にて撃墜したソ連軍機は1,340機とされ、航空戦のほかにも高射砲攻撃で180機、戦車で26機、歩兵攻撃で3機が撃墜したと報告した。日本軍は事件後も1300機撃墜を喧伝し、地上では負けていたものの航空戦は例外的勝利だったと主張、その認識は戦後も消えなかった。第24戦隊長だった梼原秀見少佐は「確実撃墜じつに1200機を越え、我が方の損害50機足らず...類例のない嘘のような事実」と揚言し、従軍記者の入江徳郎は1958年に発売した著作「ホロンバイルの荒鷲」で「空中戦では文字通り圧倒していた」と回想した。しかし、1980年代以降には航空戦の実態が明らかとなっていき、飛行第11戦隊所属の滝山和大尉が「初期は楽勝、中期は五分五分、後期は劣勢」「やっと生き残ったなという実感、後期は負けであったと思った」と証言した。ソ連邦崩壊後は被害の実態が明らかとなった。ソ連空軍の被害は戦闘損失207機で、日本の損失176機との比率は1対1.2であった。ただしこの比率はソ連側の戦闘損失と日本側の大破・未帰還数を比べた結果であり、両軍の分類基準が異なる以上単純な比較は出来ないともされている。
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