能代春慶
名称: | 能代春慶 |
ふりがな: | のしろしゅんけい |
芸能工芸区分: | 工芸技術 |
種別: | 漆芸 |
選択年月日: | 1957.03.30(昭和32.03.30) |
選択要件: | |
備考: | |
解説文: | 能代春慶【のしろしゅんけい】は、伝承によると飛騨の工人山打三九郎が寛文三年(一六六三)に石岡家の祖庄九郎に伝えたのが起原という。三代庄九郎がこれに工夫を加え、以来、佐竹藩の特別の保護のもとに代々石岡家に伝承されてきた。飛騨春慶は別記のように多くの工人によってその技術が保持されているが能代春慶は石岡家一軒だけで伝承されてきた。素地には秋田県産の檜良材を用い板物や曲物がある。国内産の良質の漆を使用するが、工程によって荏油【えのあぶら】などの混合率が変わり、一漆から七漆(上塗漆)までの分類がある。それを飛騨春慶では初手摺漆、二番摺漆、三番摺漆、春慶漆(基本となる漆で能代では五漆が相当する)、上塗漆と呼んでおり、また摺漆に飛騨が毛足の短い刷毛を用いるに、能代ではタンポを用いるなど、工程の大網では同一であるが、名称その他の細部で両者に相違がみられる。 |
能代春慶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/25 00:53 UTC 版)
能代春慶(のしろしゅんけい)は、秋田県能代市(あきたけんのしろし)で製造された春慶塗の漆器。秋田春慶とも呼称される[1]。岐阜の飛騨春慶、茨城の粟野春慶とともに、日本三大春慶塗(日本三春慶)に数えられる[1]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h 郷土資料事典 1998, p. 52.
- ^ a b 市史稿3 1958, p. 259.
- ^ a b c d e “「能代春慶」次代へ 家具職人ら研究重ね” 読売新聞、2014年1月15日朝刊、秋田版、p.33
- ^ a b c d “能代春慶 復活へ苦戦 若手ら2人「一子相伝」手がかり少なく” 読売新聞、2015年3月13日朝刊、秋田版、p.30
- ^ a b c d e 総覧 2007, p. 30.
- ^ 漆工辞典 2013, p. 323.
- ^ 県史 1962, p. 211.
- ^ 総覧 2006, p. 30.
- ^ a b c d e 山岸 1981, p. 148.
- ^ a b 県史 1962, p. 213.
- ^ 山岸 1981, p. 149.
- ^ 市史稿3 1958, p. 265.
- ^ 県史 1962, p. 217.
- ^ a b c 県史 1962, p. 218.
- ^ a b 県史 1962, p. 220.
- ^ “「広報のしろ」平成28年3月10日号” (PDF). 能代市 (2016年1月29日). 2016年12月6日閲覧。
- ^ 市史稿3 1958, p. 260.
- ^ 県史 1962, p. 215.
- ^ “ぐるり東海飛騨通信 「春慶」の技、伝えたい”朝日新聞2015年11月20日朝刊、名古屋版、p.25”
- ^ 市史稿3 1958, p. 261.
- ^ “若者らが「能代春慶塗」復活探る”. 北羽新報. 北羽新報社 (2012年12月7日). 2016年12月11日閲覧。
- ^ “「能代春慶塗」復活へ動く”. 北羽新報. 北羽新報社 (2013年1月1日). 2016年12月11日閲覧。
- ^ “「広報のしろ」平成28年3月10日号” (PDF). 能代市 (2016年1月29日). 2016年12月6日閲覧。
- ^ “能代春慶「復活」の方策探るWS”. 北羽新報. 北羽新報社 (2014年1月14日). 2016年12月11日閲覧。
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