締結前の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/20 01:45 UTC 版)
1642年から始まった第一次イングランド内戦は王党派の有利に進み、劣勢の議会派、とりわけ実力者のジョン・ピムはスコットランドとの提携で戦況を変えることを望んでいた。中立だったスコットランドには王党派・議会派双方から働きかけがあったが、チャールズ1世がカトリックのアイルランドと手を組みスコットランドへ侵入させる陰謀が発覚すると、カトリックへの恐怖から盟約派は7月末にロンドン・ウェストミンスターの議会へ使者を派遣、同盟の提案を議会派へ持ち掛けた。 スコットランドの同盟推進役はアーガイル侯爵アーチボルド・キャンベルで、先立つ5月の会合でハミルトン公爵ジェイムズ・ハミルトンが多くの貴族の支持を得て同盟に反対したが否決され、都市代表と教会から支持されたアーガイル侯はイングランドのピムと接触、応じたピムはヘンリー・ベインを長とする代表団をスコットランドへ送った。8月にエディンバラに到着した代表団は盟約派と協議に入り、軍事同盟を求めるイングランド側と、宗教的契約(イングランドが国教会に代えて、スコットランドと同じ長老派教会に採用すること)を要求したスコットランドとの間に隔たりがあったが、ベインの機転で条文に「神の言葉に従って」という一文を入れる修正が追加された。これで宗教に関する条文で双方に都合の良い解釈が出来る余地が生まれたが、問題先送りに過ぎないため後に衝突を招く元にもなった。 ともあれ、何とか纏まった条文はイングランド代表団が持ち帰り、開催中だった宗教会議(ウェストミンスター会議)と議会で検討され、9月25日に議会両院が批准、10月13日にスコットランドも批准したことで同盟が発効した。単なる条約とは異なり両国民の神に対する誓約という形を取り、一般男性は署名し女性は口頭で誓約した。スコットランドでほとんどが署名に応じ、ハミルトン公を含む王党派は孤立し立場を失った。推進者ピムは12月に死亡したが、後継者となったベインはオリバー・シンジョンと共にスコットランドとの友好維持に取り組み、1644年2月に両国から選出された代表からなる両王国委員会を設立、自分とシンジョン、それにオリバー・クロムウェルも入り戦争を遂行した。そして1月にスコットランドからリーヴェン伯アレクサンダー・レズリーと甥のデイヴィッド・レズリーが率いる援軍が派遣、7月のマーストン・ムーアの戦いで勝利に貢献し内戦は転換点を迎えた。
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