絶縁と和解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 19:39 UTC 版)
「NHK杯全日本6人制バレーボール選抜男女優勝大会」の記事における「絶縁と和解」の解説
1966年にペルーで開催予定であった第5回女子世界選手権はペルーがキューバの入国問題と施設完成の遅延により開催を返上し、代替開催に名乗りを上げたメキシコも中華人民共和国の入国問題で同様に返上、結局東京で開催にされることになった。さらに日本バレーボール協会がFIVBの許可を得たとして使用するとした参加国名称の北朝鮮、東ドイツの問題で、正式国名使用を主張する東側諸国がボイコットする事態となり大揺れした。 余波は日本国内にも及んだ。同大会の中継放映権を、「公共性の高い世界選手権である」として、これまでの実績を主張するNHKと多額の契約金を提示したNETテレビ(現テレビ朝日)が競い、結局NETが2000万円で優先放映権契約にこぎつける。「契約金額の多寡で決するのは、アマチュアスポーツ精神に悖る」として怒ったNHKは、世界選手権はもとよりNHK杯をはじめとするすべてのバレーボール中継を一切中止するとして、1967年1月11日に報道局長名で日本バレーボール協会々長宛に書面で通知した。所謂絶縁状である。NHKがアマチュア団体と絶縁するのは初めてであった。日本バレーボール協会は絶縁状をNHKに返却し、関係を白紙とすることとし沈黙を貫いた。2月11日の全国理事会では、早期解決を図ることが了承された。 ことの発端となったNET社長の根回しなどもあり、1967年7月に今鷹昇一(当時日本バレーボール協会理事長)は、当時のNHK会長前田義徳に面会し和解を打診、NHK報道局次長と具体的な話が進められた。提示した和解条件は次の通りである。 アマスポーツ振興に尽力してきたNHKの立場を尊重する。 日本バレーボール協会が独自で主催する全日本6人制バレーボール総合選手権などの放映はオープン化する。 NHK杯は日本代表選考の場として、今後とも継続開催とする。 こうして晴れて和解が成立し、同年7月26日、日本バレーボール協会は岸記念体育会館にて記者会見を行い「旧状に復した」と発表、NHK杯は復活することになった。
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