結成 - 1度目の解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:50 UTC 版)
「BARBEE BOYS」の記事における「結成 - 1度目の解散」の解説
1982年7月に男性4人組として結成。バンド結成当初から暫くはライブ動員数も決して多くない男所帯のバンドであった。ある時、杏子が在籍していた喝!タルイバンドと対バンをするための下見をした際、ライブハウスの動員力を目の当たりにしたいまみちともたかが「杏子を加入させたい」と、ひらめいたことがきっかけになったという。 当時の杏子は大手商社のOLで、職場関係者などにチケットを掃くことができたのが動員数の理由の一つであるが、同時にこの時代は女性のロック歌手自体が珍しく、色物目当ての男性客も多かった。そこで、集客目当てに杏子を強奪することを計画し、後にバンドの特徴となる男女の掛け合い型の楽曲を作成対バンの際に杏子をゲストボーカルとして歌わせることに成功する。その時の模様は「記録」として録音し、ソニーのオーディションにデモテープとして送った。そのテープに添えられたプロフィールにメンバーとして杏子の名前も記載されていた。オーディションは順調に通過。このように外堀を埋められ既成事実を重ねた結果、バンドに欠かせぬポジションになったと自覚した杏子は正式に加入した。 当時のロック界には女性に対するある種の偏見があり、安部隆雄脱退後の後任探しに苦労することにもつながった。そんな時、「困ってるなら、入ってあげようか?」と言って加入したのが、メンバー最年少のENRIQUEであった。 1983年11月、CBS・ソニー主催「CBS・ソニーSDオーディション」でグランプリを受賞。 1984年9月21日、シングル『暗闇でDANCE』でメジャー・デビュー。 1987年4月1日、シングル「女ぎつねon the Run」が三ツ矢サイダーのコマーシャルソングに起用。 初のTV出演はテレビ岩手の『ザ・テレビジョン』。この日2人で1本のマイクを使用、寄り添いながらカラオケライブを披露。以降、『ザ・ベストテン』、『歌のトップテン』、『夜のヒットスタジオ』など積極的に出演。 1988年7月2日公開KONTA初の主演映画『・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・』で、主題歌・劇中曲全てRADIO-KとBARBEE BOYSが担当した。8月22日には初の東京ドーム公演を行った。 1989年1月1日、バンドも出演した資生堂「TREND・Y」CMソング「目を閉じておいでよ」を発売。 オリコン週間シングルランキングで最高位8位を獲得、16.8万枚の売上を記録。 1992年1月24日、渋谷公会堂でのライブを最後に解散。結成から10年での出来事だった。
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