結成 - 1970年代
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「スティーライ・スパン」の記事における「結成 - 1970年代」の解説
フェアポート・コンヴェンションを脱退したアシュリー・ハッチングスは、1969年、イングランド人夫婦のマディ・プライヤーとティム・ハート、アイルランド人夫婦のテリー・ウッズ(元スウィニーズ・メン)とゲイ・ウッズと共にスティーライ・スパンを結成。フェアポート・コンヴェンションと同様、エレクトリックギターを用いたトラッドを指向したが、スティーライ・スパンは、ドラマーを含まない編成を特徴としていた(ただし、デビュー・アルバムではフェアポート・コンヴェンションのドラマーであるデイヴ・マタックスがゲスト参加)。 バンドは、イングランド南西部のウィルトシャーで共同生活をしながら活動し、1970年にデビューを果たすが、間もなくウッズ夫妻が脱退。2人はウッズ・バンドやゲイ&テリー・ウッズ名義で活動し、テリーは後にザ・ポーグスの正式メンバーとなる。バンドはマーティン・カーシーとピーター・ナイトを迎えて活動を続け、セカンド・アルバム『プリーズ・トゥ・シー・ザ・キング』(1971年)で、全英アルバム・チャートへのチャート・インを果たす(最高45位)。しかし、次作『テン・マン・モップ、あるいはリザーヴァー・バトラー氏捲土重来』(1972年)を最後に、アシュリーとマーティンの2人が脱退。 リック・ケンプとボブ・ジョンソンを加えた編成で、2枚のアルバムを発表した後、スティーライ・スパンは、同バンド史上初のドラマーとしてナイジェル・ピーグラムを迎えて6人編成となる。バンドはロック色を強め、ナイジェル在籍時としては第1弾のアルバム『トーマス・ザ・ライマー』(1974年)は、デヴィッド・ボウイがサックスでゲスト参加。更に、1975年発表の8作目『オール・アラウンド・マイ・ハット』は、全英7位に達するヒット作となり、タイトル曲もシングル・カットされて全英5位に達した。 1976年にはボブ・ジョンソンとピーター・ナイトが脱退。その後、ジョン・カークパトリックが加入し、また、1972年に脱退したマーティン・カーシーが復帰した編成で『Storm Force Ten』(1977年)を発表するが、1978年には一度解散。同年、マディ・プライヤーは初のソロ・アルバム『Woman in the Wings』発表。
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