結成 - 1970年代とは? わかりやすく解説

結成 - 1970年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 19:11 UTC 版)

スティーライ・スパン」の記事における「結成 - 1970年代」の解説

フェアポート・コンヴェンション脱退したアシュリー・ハッチングスは、1969年イングランド人夫婦マディ・プライヤーとティム・ハート、アイルランド人夫婦のテリー・ウッズ(元スウィニーズ・メン)とゲイ・ウッズと共にスティーライ・スパン結成フェアポート・コンヴェンションと同様、エレクトリックギター用いたトラッド指向したが、スティーライ・スパンは、ドラマー含まない編成特徴としていた(ただし、デビュー・アルバムではフェアポート・コンヴェンションドラマーであるデイヴ・マタックスゲスト参加)。 バンドは、イングランド南西部ウィルトシャー共同生活しながら活動し1970年デビューを果たすが、間もなくウッズ夫妻脱退2人はウッズ・バンドやゲイ&テリー・ウッズ名義活動しテリーは後にザ・ポーグス正式メンバーとなる。バンドマーティン・カーシーとピーター・ナイトを迎えて活動続けセカンド・アルバムプリーズ・トゥ・シー・ザ・キング』(1971年)で、全英アルバム・チャートへのチャート・インを果たす(最高45位)。しかし、次作『テン・マン・モップ、あるいはリザーヴァー・バトラー氏捲土重来』(1972年)を最後にアシュリーマーティン2人脱退。 リック・ケンプとボブ・ジョンソン加えた編成で、2枚アルバム発表した後、スティーライ・スパンは、同バンド史上初のドラマーとしてナイジェル・ピーグラムを迎えて6人編成となる。バンドロック色を強めナイジェル在籍時として第1弾アルバム『トーマス・ザ・ライマー』(1974年)は、デヴィッド・ボウイサックスゲスト参加。更に、1975年発表の8作目『オール・アラウンド・マイ・ハット』は、全英7位に達すヒット作となり、タイトル曲シングル・カットされて全英5位に達した1976年にはボブ・ジョンソンとピーター・ナイトが脱退その後、ジョン・カークパトリックが加入しまた、1972年脱退したマーティン・カーシー復帰した編成で『Storm Force Ten』(1977年)を発表するが、1978年には一度解散同年マディ・プライヤーは初のソロ・アルバムWoman in the Wings発表

※この「結成 - 1970年代」の解説は、「スティーライ・スパン」の解説の一部です。
「結成 - 1970年代」を含む「スティーライ・スパン」の記事については、「スティーライ・スパン」の概要を参照ください。

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