結成と活動開始
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1988年夏、RCサクセションがリリースする予定だった反原発の内容を含んだシングル「ラヴ・ミー・テンダー」とカバーアルバム『COVERS』を東芝EMIが発売中止にした。8月15日にキティレコードから両作品が発売され、『COVERS』はオリコン1位を獲得したが、ラジオのFM東京(現・TOKYO FM)や地方の系列局でもオンエアを自粛する動きが生じた。忌野清志郎は抗議の意味でゲリラ・ライヴを計画するも、RCメンバーの賛同を得られなかったことがタイマーズ結成のきっかけとなった。TOPPIは忌野の個人運転手係やRCの裏方を長く経験していた人物で、次に召集されたBOBBYとPAHはTOPPIのバンド仲間であった。 同年8月3日、富士急ハイランドのイベントでアン・ルイスのライブに乱入し、ライヴ・デビュー。当初の目的である8月5日、6日に行なわれる「広島平和コンサート」への飛び入りのリハーサルを兼ねての出演だった。覆面バンドの為、最後まで正体がわからない観客も多かった。 8月6日の「広島平和コンサート」序盤、バンド転換の合間に飛び入りで登場。イベント・プロデューサーである山本コウタローに向けた「偽善者」、「ロックン仁義」等タイマーズの定番曲の他、RCサクセションの発売中止シングルの両面「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」等を演奏。この模様はNHK衛星第1放送(BS1)で生中継された。11月は学園祭ライヴに多数出演。1日に3つの大学を廻る日もあった。横浜国立大学ではけが人が出るほどの騒ぎとなった。 1989年1月の『パレスチナ独立記念パーティー』への出演以外活動はなかったが、前年から録音されていたデモテープの流出もあり(ゼリー本人が関係者に配っていたもの)、アルバムの製作をロンドンで行なう。 前年に続いて8月5日『広島平和コンサート』に出演。今回は飛び入りではなく予定されていたもの。この日の演奏から「Long Time Ago」がビデオ発売された。 10月11日、ファーストシングル「デイドリーム・ビリーバー」を発売しオリコン週間2位を獲得。11月8日にファーストアルバム『TIMERS』、12月13日にセカンドシングル「ロックン仁義」をリリース。12月31日から翌年1月1日にかけて幕張メッセイベントホールで行われたライヴ・イベント「R&R BAND STAND(ロックンロール・バンドスタンド)」に出演した。 翌年、ビデオ発売の予定もあったが、期間限定活動を終えていたこと、RCサクセション20周年キャンペーンとの兼ね合いで製作中止となった。
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