経営破綻とコンレールへの合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/16 01:50 UTC 版)
「ペン・セントラル鉄道」の記事における「経営破綻とコンレールへの合併」の解説
ペン・セントラル鉄道はわずか2年の営業の後、1970年6月21日に経営破綻し、アメリカの金融システムに衝撃を与えることになった。その当時、アメリカの歴史上最大の企業倒産であった。ペン・セントラル鉄道は倒産したが、その親会社のペン・セントラル・カンパニーは存続することができた。 ペン・セントラル鉄道の経営破綻は、アメリカ合衆国において民営の長距離旅客鉄道事業に最終的な打撃を与えた。経営難の会社は州際通商委員会に対して、残されている旅客輸送のほとんどを廃止する提案を行い、関連する鉄道会社にも同様の動きが波及した。1971年には合衆国議会は政府出資のアムトラックを発足させ、ペン・セントラル鉄道やその他のアメリカ合衆国の鉄道会社の線路上で旅客輸送を担当することになった。 1973年の地域鉄道再生法に基づき、ペン・セントラル鉄道は他の東部鉄道5社と合併しコンレールとなった。民間部門での再編成の試みが失敗した後、議会はペン・セントラル鉄道を1976年の鉄道再生・規制改革法(英語版)に基づき国有化した。この法律により、ペン・セントラル鉄道と他の5社の同様に破綻した鉄道会社をまとめて統合鉄道公社通称コンレールに統合した。この法律は1976年4月1日に発効した。1978年、議会は鉄道・荷主間の貨物に対する差別をふくむ輸送契約を合法化してまで振興を図った。 市場シェアがトラックに奪われ続けている状況に直面し、鉄道産業と労働組合は政府に対し規制緩和を要望しなければならなくなった。1980年のスタガーズ鉄道法では鉄道において規制緩和が実施された。コンレールとかつてのペン・セントラル鉄道の事業が復活する重要な要素となった。1984年にはトレーラー/コンテナ輸送の運賃規制が撤廃された。 1980年代を通じて、規制緩和を受けたコンレールは、1968年から1970年までにペン・セントラル鉄道が実施しようとして実現できなかった、路線の再編成と生産性の改善を強力に推し進めた。多くの路線が廃止となり、隣接地の土地所有者に売却されるか遊歩道などに転用された。結果的に利益を上げられるようになったコンレールの株式は1987年に再上場され、コンレールは1987年から1999年までの間は独立した民間企業として営業した。
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