終戦後の接収と在日米海軍司令部庁舎となった旧横須賀鎮守府庁舎
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第二次世界大戦の終戦後、昭和20年(1945年)8月30日に連合国軍が横須賀に進駐し、横須賀鎮守府庁舎には進駐したアメリカ軍によって星条旗が掲揚された。そして9月2日には横須賀鎮守府庁舎は他の横須賀鎮守府関連の施設とともに、正式に連合軍に接収された。昭和27年(1952年)4月28日、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が発効したことにより、連合国の占領軍から在日米軍としてアメリカ軍が駐留するようになった。そしてかつての横須賀鎮守府庁舎は在日米海軍司令部庁舎として現在も使用されている。 在日米海軍司令部庁舎となった後、建物の改築が行なわれたことがあると見られるが詳細については不明である。鎮守府庁舎時代から明らかに改変がなされた部分としては、内装の照明器具の一部が改変されており、また部屋のレイアウトも変更がなされた可能性がある。最も大きな改変は三階部分の窓のうち八ヵ所が塞がれてタイル壁になっている点である。これは昭和40年(1965年)頃に、アメリカ本国からの要請に基づき、情報を取り扱う部署がある三階部分について窓を塞ぐ改築がなされたというが、詳細は不明である。また現状の建物を見るとタイルによって窓が塞がれた部分と、他の壁面のタイルとの間に違いが見出せないため、壁面のタイルについては全面的に張り替えられた可能性が指摘されている。 また現状の建物には建物の後部に増築された張り出しがあるが、張り出し部分がいつ増築されたのかは全く不明であり、戦前の横須賀鎮守府庁舎時代であった可能性もある。 旧横須賀鎮守府庁舎は戦後、在日米海軍司令部庁舎として使用され続けているため、長い間学術調査が実施できなかった。平成14年(2002年)、横須賀海軍施設内のクレーン解体時に許可されて以降、基地内の施設調査が認められるようになり、横須賀市教育委員会が行なう調査結果について米海軍横須賀基地当局と横須賀市教育委員会が共有することとなった。旧横須賀鎮守府庁舎でも改修時等に調査が実施され、関東大震災後に行なわれるようになった耐震設計の草分け的な建造物であったことなど、貴重な知見が得られるようになった。
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