納豆菌の発見とは? わかりやすく解説

納豆菌の発見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 09:02 UTC 版)

納豆菌」の記事における「納豆菌の発見」の解説

最初に日本化学会誌納豆菌に関する論文発表したのは、1894年明治27年)から3年間にわたり農科大学学院生だった矢部規矩治である。矢部は、納豆発酵中の化学変化について研究続け桿菌1種球菌3種発見したが、納豆粘着物質である糸の生成原因に関して研究未完終わり、納豆菌の発見までには至っていなかった。その後1902年明治35年)に須田三郎らが Bacillus subtilis属菌であるところまで解明したが、発見には至らなかった。 発見されたのは1905年明治38年)、農学博士沢村真澤村眞)によるものであり、納豆菌としてBacillus natto Sawamura (バチルス・ナットー・サワムラ)を分離した衛生上の観点から、納豆稲藁容器疑問持った沢村は、容器納豆菌分離する研究行い東京売られていた納豆から、納豆特有の2種類突き止めた第一風味良い納豆をつくるが、第二粘りの点は優れて風味では第一に劣るとされた。その後沢村研究によって、1912年明治45年になって納豆をつくるのは第一だけで良いとし、そのを「バチルス・ナットー・サワムラ」と名付け1919年大正8年12月10日発行雑誌納豆第一号に発表した。 さらに、納豆包まれていることを不潔だとして、納豆容器改良関心寄せていた北海道帝国大学農学博士半澤洵研究重ね1916年大正5年)に納豆菌純粋培養成功した半澤は、1919年大正8年)に「納豆容器審査改良会」を設立し純粋培養法と衛生的安定した納豆製造方法半澤納豆製造法」を確立した。 それを「大学納豆」と称して売り出し近代納豆始まりとなる。「大学納豆」をいち早く取り入れてベンチャー企業起こし1920年大正10年)に半澤納豆製造産業化行ったのが宮城野納豆製造所仙台市)の創設者で後の初代全国納豆協同組合連合会会長三浦二郎である 。以降納豆菌宮城野」は市販納豆始祖となる三大宮城野高橋成瀬)の内の一つ

※この「納豆菌の発見」の解説は、「納豆菌」の解説の一部です。
「納豆菌の発見」を含む「納豆菌」の記事については、「納豆菌」の概要を参照ください。

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