筑波山梅林再生プロジェクト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/19 04:28 UTC 版)
「筑波山梅林」の記事における「筑波山梅林再生プロジェクト」の解説
1970年(昭和45年)頃に、松林を伐採して梅の実の生成のために造成された筑波山梅林だが、当初は計画通り市場に出荷されていたものの、人手不足により放置されるようになった。しかし、眺望景観の良さ、地形の変化、筑波石とのコントラストなど、茨城県水戸市の偕楽園とはまた違った良さがあり、また2005年(平成17年)につくばエクスプレスが開通することで、集客が見込めると判断されたため、2000年(平成12年)、当時のつくば市長藤沢順一により、筑波大学副学長冨江伸治を通じ、筑波大学芸術環境デザイン研究室の鈴木雅和に、筑波山梅林の再生が依頼された。当面の目標としては、梅林を筑波山における観光の目玉にするために、2000年(平成12年)から丸4年で再生することであった。 梅林再生のために行った伐採・剪定工事の段階では、全体で3,000本あると言われていた梅の木は、毎木調査の結果約1,300本であった。これらを全て診断し、剪定か間伐か判断して、500本の間伐を行い、800本の梅の木が残された。伐採された木は破砕機で細かく砕き、ウッドチップとして階段や園路などに敷き詰められ、有効活用された。 30年放置された梅を剪定するために、これらの剪定工事は2000年(平成12年)から2005年(平成17年)まで継続して行われた。工事は難航したが、5年かけた結果、眺望景観が良くなり、隠れていた筑波石も現れ、梅の樹勢も回復し、萌芽が盛んになった。また、樹体も小さくなり、結実も見られるようになった。なお、本プロジェクトにおいて、関係施設の整備を筑波大学が計画設定を行った。施設の整備が終わった頃には、梅の木の花の質や量も向上し、つくばエクスプレスの開通も契機となり、来園者が増加しはじめた。 2000年(平成12年)から2006年(平成18年)までの6年間で、梅林再生計画のために1億2000万円が投資され、2006年(平成18年)から観光バスツアーが頻繁になり、来園者が急増したことで、無料だった市営の駐車場が有料化でき、毎年3000万円の収入が発生したことで、先行投資した分の金額が回収できた。その結果、2012年(平成20)より、つくば市からつくば市観光協会に移管された。
※この「筑波山梅林再生プロジェクト」の解説は、「筑波山梅林」の解説の一部です。
「筑波山梅林再生プロジェクト」を含む「筑波山梅林」の記事については、「筑波山梅林」の概要を参照ください。
- 筑波山梅林再生プロジェクトのページへのリンク