第7回コミンテルン世界大会と人民戦線とは? わかりやすく解説

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第7回コミンテルン世界大会と人民戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 15:11 UTC 版)

コミンテルン」の記事における「第7回コミンテルン世界大会と人民戦線」の解説

en:Seventh World Congress of the Comintern」も参照 7回目であり最後大会1935年7月25日から8月20日にかけてモスクワ開催され、そこには57か国、65共産党から510名の代表が出席している。会議ファシズム反対戦争反対議論加え資本主義攻勢反対一国的及び国際的統一戦線及び人民戦線徹底的展開並びにその効果的活動方針決定している。スポーツ宗教などの活動にも浸透することが求められた。 主な報告ディミトロフによってなされ、他の報告パルミーロ・トリアッティヴィルヘルム・ピークドミトリー・マヌイリスキーによった大会は公式にファシズム対す人民戦線承認したこの方針の主張共産党ならばファシズム反対する全ての会派人民戦線をなすこと、及び共産党自身労働者階級基盤とする会派との統一戦線形成することを制限しないことであったコミンテルンのどの国家部局からもこの方針に対す目立った反対はなく、特にフランススペインにおいては人民戦線政府につながるレオン・ブルム1936年選挙とともに重要な結果となる。 ゲオルギ・ディミトロフ パルミーロ・トリアッティ ヴィルヘルム・ピーク ドミトリー・マヌイリスキー 統一戦線コミンテルン根本政策とした決議第一には、コミンテルンそれまでの諸団体との対立清算し反ファシズム反戦思想を持つ者とファシズム対抗する単一戦線構築進めこのため理想論捨て各国の特殊事情にも考慮して現実的に対応し気づかれることなく大衆傘下呼び込み、さらにファシズムあるいはブルジョワ機関への潜入積極的に行って内部からそれを崩壊させること、第二共産主義化攻撃目標主として日本ドイツポーランド選定し、この国々打倒にはイギリスフランスアメリカ資本主義国とも提携して個々撃破する戦略用いること、第三日本中心とする共産主義化のために中華民国重用することが記されている(コミンテルン指令1937年尾崎秀実#諜報活動、『米国共産党調書』、ヴェノナ文書参照)。コミンテルン主な攻撃目標にされた日本ドイツ1936年11月25日日独防共協定調印した

※この「第7回コミンテルン世界大会と人民戦線」の解説は、「コミンテルン」の解説の一部です。
「第7回コミンテルン世界大会と人民戦線」を含む「コミンテルン」の記事については、「コミンテルン」の概要を参照ください。

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