コミンテルン指令1937年
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「日支闘争計画」の記事における「コミンテルン指令1937年」の解説
「コミンテルン#第7回コミンテルン世界大会と人民戦線」、「中ソ不可侵条約」、「在華ソビエト軍事顧問団」、および「ソ連空軍志願隊」も参照 1939年10月興亜院政務部(担当者は嘱託原口健三)が作成した、「盧溝橋事件に関するコミンテルンの指令」「コミンテルン並に蘇聯邦の対支政策に関する基本資料」(極秘)という資料が残っている。コミンテルンの指令の要旨は、 あくまで局地解決を避け、日支全面衝突に導くこと(日中戦争および支那事変も参照)。 あらゆる手段を利用し、局地解決や日本への譲歩によって支那の解放運動を裏切る要人は抹殺すること。 下層民衆を煽動して、国民政府を対日戦争開始に追い詰めること。 対日ボイコットを拡大し、日本を援助する国はボイコットで威嚇すること(第二次上海事変#欧米の反応も参照)。 紅軍は国民政府軍と協力する一方、パルチザン的行動に出ること。 共産党は国民政府軍下級幹部、下士官、兵士及び大衆を獲得し、国民を凌駕する党勢に達すること。 「中共党はこの指令に基づき、周恩来を蔣と会見させ、国共合作、紅軍改編を申入れたとしている」
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