コミンテルン極東支局と中国共産党設立
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「グリゴリー・ヴォイチンスキー」の記事における「コミンテルン極東支局と中国共産党設立」の解説
1920年、ソビエト連邦は中央シベリアを確保し、第三インターナショナル、つまりコミンテルンの支局としてシベリアに極東支局を設立した。その役割は中国と他の国々において共産党の設立を推進することであった。極東支局の成立直後、 その副支局長ヴォイチンスキーは陳独秀、李大釗のような有名な中国の過激派と接触する顧問として中国に派遣され上海に入り、5月には陳独秀に中国共産党を設立させている。実際に新しい党を成立させる過程の大部分には彼が関与したが、中国国民党との国共合作など党の公式路線については彼の後継の顧問らによる関与が大きかった。ソ連は、1921年7月新規に2名の工作員としてソ連の軍事関連の諜報員ニコリスキーとオランダ共産党員のマーリンを中国に派遣した。彼等は第一回共産党大会を開催させ、これにより正式に中国共産党が発足した。
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