コミンテルン指令1931年
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「日支闘争計画」の記事における「コミンテルン指令1931年」の解説
満州事変(柳条湖事件)の勃発した1931年(昭和6年)、コミンテルンは日本及び中国の共産党に対し、次の指示を出した。 日本と中国の対立を利用して、中国大陸への日本の進出を軍事的に失敗させ、それによって日本の革命を進めるとともに、中国内部をも改革する。来たるべき第二次世界大戦には間があるから、その間に共産革命の組織拡大を図ること。それにはまず全中国人民の抗日感情を煽り立てることが必要であり、それによって国民党と日本との妥協を不可能にする。国府軍と日本軍との衝突が避けられないものとなれば、次は戦線を華北から華南方面郎にまで発展させる。それだけで日本軍のソ連包囲態勢に楔がはいり、同時に中国共産党のためには、革命への客観的条件が準備されることになる。故に国府軍と日本軍との衝突の隙に乗じて、中共の発展を策すよう諸般の行動に移るべし。
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