第5の哨戒、1945年6月 - 7月・バーニー作戦
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「スペードフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第5の哨戒、1945年6月 - 7月・バーニー作戦」の解説
5月27日、スペードフィッシュは5回目の哨戒でバーニー作戦に参加して日本海に向かった。このバーニー作戦は、この時点の日本に残されたほぼ唯一の重要航路に打撃を与えるものであり、対馬海峡の機雷原突破と日本海を悠然と航行する日本船は、目標の減少に嘆いていた潜水艦部隊にとっては絶好のスリルであり獲物であった。この作戦には9隻の潜水艦が投入され「ヘルキャッツ」 Hellcats と命名された。各潜水艦は三群に分けられ、シードッグ (USS Sea Dog, SS-401) のアール・T・ハイデマン艦長(アナポリス1932年組)が総司令となった。スペードフィッシュはシードッグ、クレヴァル (USS Crevalle, SS-291) と共にウルフパック「ハイデマンズ・ヘップキャッツ」 Hydeman's Hep Cats を組み、第一陣として6月4日までに対馬海峡に進出した。 リレー式に対馬海峡を突破した各潜水艦は三群それぞれの担当海域に向かい、6月9日日の出時の攻撃開始を待った。「ハイデマンズ・ヘップキャッツ」は北海道の西部海域から新潟沖に進出し、スペードフィッシュは北海道西岸沖に位置した。6月10日、スペードフィッシュは神威岬沖で第二大源丸(太洋興業、1,999トン)に魚雷2本を命中させて撃沈し、日付が変わる前に間髪容れず第八雲海丸(中村汽船、1,304トン)と神通丸(藤山海運、985トン)も撃沈した。6月12日の夜明け前には礼文島近海でサンパンを20ミリ機銃で沈め、間を置かず現れた3隻のトロール船を砲撃で沈めた。6月13日、スペードフィッシュは失態を犯した。北緯45度44分 東経140度48分 / 北緯45.733度 東経140.800度 / 45.733; 140.800の礼文島と宗谷海峡の間で日本船と間違えて、当時は中立のソ連船トランスバルト (Transbalt) を誤認撃沈。ジルマーショーゼン艦長は攻撃してすぐに相手がソ連船である事を悟り。この一件は日本側でも報じられた。6月14日には北緯47度03分 東経142度01分 / 北緯47.050度 東経142.017度 / 47.050; 142.017の樺太真岡町沖に出現し、真岡港沖で仮泊中の青山丸(川崎汽船、2,018トン)に魚雷を2本命中させて撃沈。6月17日の夜には北緯42度43分 東経139度57分 / 北緯42.717度 東経139.950度 / 42.717; 139.950の地点で特設敷設艦永城丸(東亜海運、2,274トン)を撃沈した。スペードフィッシュはシードッグ、クレヴァルと再会したあと、6月24日夜に宗谷海峡西側に到着。6月19日に討ち取られたボーンフィッシュ (USS Bonefish, SS-223) 以外の各潜水艦は翌25日正午に濃霧の中を二列縦陣、浮上航行で海峡を通過し、オホーツク海に入った。7月4日、スペードフィッシュは39日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 終戦時、スペードフィッシュは次の哨戒に向けて準備中であった。
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