第3部 絶滅=労働収容所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 03:31 UTC 版)
「収容所群島」の記事における「第3部 絶滅=労働収容所」の解説
1 オーロラの指 1918年7月の法務人民委任部の「臨時指令書」によって収容所群島が誕生した。 2 群島は海から浮び上がる 帝政時代からあったソロフキ島修道院監獄は、1923年に特別収容所になった。 3 群島は癌腫を転移さす 1928年から特別収容所はソロフキ島の外へ増殖をはじめた。最初の大事業として、1933年に白海運河が作られた。 4 群島は冷酷になる 群島の歴史で、いつが人間にとって最もつらかったか。戦時中に軍配があがる。 5 群島の基盤 群島の運営基盤として、差別食運用制度、作業班、インチキがある。 6 ファシストどもが運ばれてきた! 「ファシスト」とは58条違反者の別名。作者自身の経験を交え、収容所生活の第1日めを描写。 7 群島住民の生活 収容所では多く働けば配給食も増えるが、消費エネルギー増大の補充には足らない。つまり「大きな配給食が死をもたらす。」 8 収容所のなかの女性 収容所に年頃の新入女囚が来ると、男特権囚に誘われる。彼らの女になれば、暖かく、食べ物のある生活ができるのだ。 9 特権囚 特権囚とは一般作業を免れ、軽労働を職とする囚人。収容所から生きて出られる可能性が高い囚人。 10 政治犯の代りに ソ連では政治犯の代りに、58条違反で多くの名もない人が収容所に入れられた。 11 忠誠派の人びと 正統派共産党員が逮捕される事もある。彼らはソ連自体がおかしいのではなく、自分の逮捕についてだけ何か間違いがあったのだと信じている。 12 密告 収容所の管理のために密告も奨励される。ただし資料が少なく、作者自身の経験が語られる。 13 一皮剥がしたら、もう一皮剥がせ! 収容所入所中に、さらにもう一期の刑期を宣告される事もある。特にそれが多かったのは1938年。 14 運命を変えること! 脱走を試みる囚人もいる。収容所周囲の現地住民はすすんで脱走者を捕まえた。当局による報酬が高額なので。 15 懲罰 囚人らはなんらかの理由をつけられて懲罰監房や、労働作業つきの懲罰構内に送られる。 16 社会的近親分子 社会的近親分子とは58条によらない、一般の犯罪者。58条組にくらべ優遇された扱いを受ける。 17 少年囚 1935年から12歳以上の犯罪者も収容対象になった。彼らは数日で「群島」に順応する。すなわち、力だけが正義であると知る。 18 収容所群島のミューズたち 収容所には文化教育部があり、素人演芸会や合唱会も企画される。 19 民族としての囚人たち 囚人がZ/K「ゼック」という民族を構成していると考えた論考。 20 犬の務め 収容所役人には共通の特徴がある。傲慢、専横、貪欲、好色、悪意、残忍。 21 収容所周辺の世界 収容所周辺の運転手や技師などの自由雇用人と収容所との関係。 22 われらは建設する 白海運河に始まる、収容所囚人たちによって行われた大事業のリスト。
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