第3次防衛力整備計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 19:52 UTC 版)
「航空自衛隊の歴史」の記事における「第3次防衛力整備計画」の解説
3次防の時代には航空自衛隊の編制は全国各地を網羅できる態勢が整えられ、自動警戒管制組織導入の他、戦闘機ほか各種航空機の国産化が推進される。 1963年11月11日から15日まで航空幕僚監部を含めた初の大規模総合指揮所演習が実施される。この演習において緊迫状況下での警戒、作戦準備、防空作戦、航空軍事輸送が日本全域を舞台に展開する。 1969年10月に佐渡分屯基地にて勤務していた、後に反戦自衛官として知られる小西誠による訓練拒否が問題となり、初の自衛隊法違反事件として長年に渡り自衛隊の合憲性を問う裁判が行われる。1969年2月8日に石川県金沢市上空にて落雷の直撃を受けたF-104J戦闘機が市街地に墜落し多数の死傷者を出している。1971年7月30日、岩手県上空にて全日空機雫石衝突事故が発生、このため防衛庁長官増原惠吉と共に航空幕僚長上田泰弘空将は引責辞任する。事故後、航空法は改正され自衛隊機にもトランスポンダとフライトレコーダーの装着義務が定められた。 1970年3月にはよど号ハイジャック事件が発生し、航空自衛隊機が空中監視を実施している。 1971年7月には国産のT-2高等練習機が初飛行を実施している。同年11月にはC-1輸送機が初飛行し、1973年から部隊配備が開始される。さらに第2次F-Xに採用されたF-4EJ戦闘機の導入が開始されている。
※この「第3次防衛力整備計画」の解説は、「航空自衛隊の歴史」の解説の一部です。
「第3次防衛力整備計画」を含む「航空自衛隊の歴史」の記事については、「航空自衛隊の歴史」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
防衛力整備計画 |
第3次防衛力整備計画 第4次防衛力整備計画 第2次防衛力整備計画 第1次防衛力整備計画 |
Weblioに収録されているすべての辞書から第3次防衛力整備計画を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 第3次防衛力整備計画のページへのリンク