第2次近鉄時代とは? わかりやすく解説

第2次近鉄時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 04:00 UTC 版)

山本和範」の記事における「第2次近鉄時代」の解説

1996年入団テストを受け、近鉄時代先輩でもあった佐々木恭介監督は「あいつは若手の手本になる」とし、古巣近鉄への移籍決まった背番号ホークス時代29逆にした92変え同時に「2億円もカズ山本福岡置いてきた。近鉄古巣というよりルーキー気持ち頑張る。会社いらないと言うまでやりたい」と登録名本名戻した同年西武ライオンズとの開幕第2戦に1-01点リードの8回に代打移籍初出場西口文也から見事に代打本塁打放って華々しい移籍デビューを飾る。本塁生還した山本最敬礼迎えた佐々木監督試合後に「実は采配ミスだった。それをあいつ(山本)は見事に帳消しにしてくれた」という言葉絶賛したこれを機に近鉄でも欠かせ存在となり、オールスターゲームでは、それまで監督推薦での出場だったが初めファン投票選出され古巣福岡ドーム藪恵壹から決勝ホームラン放つMVPとしてお立ち台上がった山本は、インタビュアー田久保尚英から「昨年までプレーしていた福岡ドームでのホームラン」について聞かれ、「まさか打てると思ってもいませんでしたし、まぐれですよ」と涙を流したその後DH代打として、近鉄出場重ねた1999年シーズンは、シーズン通して一軍昇格することなく球団側は42歳山本自由契約にして引退勧めたが、山本現役続行宣言9月30日一軍昇格し同日福岡ドームでの対ダイエー戦に指名打者先発出場山本近鉄退団知っていた満員のダイエーファンから『山本コール』の大合唱起こり南海時代から使われている応援歌ダイエー応援団の集まるライトスタンドからも流れた山本最終打席篠原貴行からカウント0ストライク3ボール決勝ホームラン放つ試合後、ダイエー優勝セレモニー前に山本ファン声援応え場内一周した。この光景見てこれ以上感動与えプレーは、無理だろう」と現役引退決めた2度にわたり所属球団から戦力外通告を受けながらも、通算成績1400安打175本塁打通算打率.283の成績残した。なお、山本引退により1970年代入団したプロ野球選手はいなくなった

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