第2次近鉄時代
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1996年に入団テストを受け、近鉄時代の先輩でもあった佐々木恭介監督は「あいつは若手の手本になる」とし、古巣・近鉄への移籍が決まった。背番号をホークス時代の29を逆にした92に変え、同時に「2億円もカズ山本も福岡に置いてきた。近鉄は古巣というよりルーキーの気持ちで頑張る。会社がいらないと言うまでやりたい」と登録名を本名に戻した。同年の西武ライオンズとの開幕第2戦に1-0で1点リードの8回に代打で移籍初出場、西口文也から見事に代打本塁打を放って華々しい移籍デビューを飾る。本塁生還した山本を最敬礼で迎えた佐々木監督は試合後に「実は采配ミスだった。それをあいつ(山本)は見事に帳消しにしてくれた」という言葉で絶賛した。これを機に近鉄でも欠かせぬ存在となり、オールスターゲームでは、それまでは監督推薦での出場だったが初めてファン投票で選出され、古巣の福岡ドームで藪恵壹から決勝ホームランを放つ。MVPとしてお立ち台に上がった山本は、インタビュアーの田久保尚英から「昨年までプレーしていた福岡ドームでのホームラン」について聞かれ、「まさか打てると思ってもいませんでしたし、まぐれですよ」と涙を流した。その後もDHや代打として、近鉄で出場を重ねた。 1999年シーズンは、シーズンを通して一軍へ昇格することなく、球団側は42歳の山本を自由契約にして引退を勧めたが、山本は現役続行を宣言。9月30日に一軍に昇格し、同日の福岡ドームでの対ダイエー戦に指名打者で先発出場。山本の近鉄退団を知っていた満員のダイエーファンから『山本コール』の大合唱が起こり、南海時代から使われている応援歌がダイエー応援団の集まるライトスタンドからも流れた。山本は最終打席で篠原貴行からカウント0ストライク3ボールで決勝ホームランを放つ。試合後、ダイエーの優勝セレモニーの前に、山本はファンの声援に応え場内を一周した。この光景を見て「これ以上の感動を与えるプレーは、無理だろう」と現役引退を決めた。2度にわたり所属球団から戦力外通告を受けながらも、通算成績1400安打、175本塁打、通算打率.283の成績を残した。なお、山本の引退により1970年代に入団したプロ野球選手はいなくなった。
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