第二絃樂四重奏"「無調風」
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「須賀田礒太郎」の記事における「第二絃樂四重奏"「無調風」」の解説
1946年(昭和21年)、須賀田はNHKラジオの放送用のための弦楽四重奏曲の作曲を依頼された。通俗的小品以外を発表出来る好機に、戦前から密かに研究を続けて来た前衛的手法を用いた初の作品を提出する。それが"第二絃樂四重奏"「無調風」である。"第二絃樂四重奏"は当初1946年(昭和21年)8月4日 (土) 午後5時45分からNHK東京第一放送 の"現代日本の音樂"という番組で、1941年(昭和16年)の"第一絃樂四重奏"の第2楽章と共に放送される予定だった。ところが収録の際、"第二絃樂四重奏"は演奏を拒絶されてしまう。止むなくNHKはプログラムを"第一絃樂四重奏"全曲に切り替え、"第二絃樂四重奏"の初演はその後55年の時を待たねばならなかった。(初演は2001年12月27日/「日本の戦後音楽史再考」レクチャーコンサート/虎ノ門JTアートホール/演奏=ラ・ミューズ弦楽四重奏団)当時の演奏家には、このような無調作品は「音楽ではない」と写ったのだろうか。 作曲後55年を経て初演された「弦楽四重奏第二番無調性」は、現代を生きる僕の耳には無調=先端では当然なく実に古典的な和洋折衷の音楽だった。その響きは、第一楽章に代表される、「ショスタコビッチ」の弦楽四重奏のような、重く、冷たく沈んだ音と、第三楽章に代表される、日本の祭ばやしのような、音がはね、リズムがはずむ、いかにも日本的な音との融合であった。現代では失われてしまった日本の音、例えば各地の祭りばやしの旋律から喚起されるその情感は、かろうじてまだ僕らの記憶のどこかにひそんでいる。それは遠い少年の日の記憶かもしれないし、自分が直接聴いたわけではない、いわば遺伝子の記憶なのかもしれない。しかし大事なのは、その記憶が何かのきっかけによっていまだに喚起されるものであるということだ。時をへだてて、なほ喚起される記憶こそが、僕らの根幹をなす、言ってみれば「アイデンティティ」というものの正体なのであろう。あの時代に西洋から来たクラシックというわくの中に、日本の情感に根差したアイデンティティを埋めこんだ須賀田磯太郎。そこいらへんに、僕がこれから進むべき道の指針がかくされている気がした
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