第二様式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 23:56 UTC 版)
「ポンペイの壁画の様式」の記事における「第二様式」の解説
前1世紀には「第二様式」または「建築様式」と呼ばれる様式が支配的となる。壁面は建物の構成要素やトロンプ・ルイユ的な効果を狙った構図により装飾されるようになる。初期には第一様式から見られる要素で構成されていたがだんだんと置き換えられていった。この様式では対象物に陰影を付けることによって立体的な構造物として錯覚させるということが行われた。例えば立体的に描かれた柱によって壁面のスペースを分割するということがよく行われた。 また壁画にトロンプ・ルイユ的効果を与えるための平行投影法(正確な線遠近法ではない)の利用も第二様式を特徴付けている。イオニア式の柱や舞台のような建築の構造物を描くことにより画面に表される空間は壁面の後方に押しやられた。これらの壁画はローマの家々の窓がなく狭い部屋を少しでも広く見せる効果があったと思われる。 具体的な対象や風景が前90年頃に第一様式に導入され、前70年頃からは建築物やイリュージョニスティックなモチーフと共に支配的となった。壁画はできる限り奥行きを感じさせることが求められた。リアルに描かれたモチーフは最初、分割された画面の高い部分に描かれた。その後、前50年以降は神話の舞台となる風景を背景として演劇のマスクや飾りが描かれるようになった。 アウグストゥスの治世のもとでこの様式は発展を遂げた。偽の建築要素によって空間が広げられ美的構図の構築に寄与した。中央の大きな絵と両翼の二つの小さな絵により構成される舞台装置から着想を得た構成が発展した。このタイプの絵でも建築要素や風景などにより壁面を開放しようとするイリュージョニスティックな傾向は共通している。やがて風景は壁面全体に拡がり、枠の役割を果たしていた建築構造物も消え去り、壁面を見る人はただ部屋の外にいて本物の景色を眺めているかのようになる。 この様式で良く用いられた色は白、赤、黄、緑、マゼンタだった。前40代から流行し前10年代には下火となった。 ボスコレアーレのP.ファンニウス=シュニストル荘(en)(前40年頃)の建築物の絵が一例である。
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