競技と記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/02 07:13 UTC 版)
「フリーフライト (模型航空)」の記事における「競技と記録」の解説
当時の模型飛行技術では旋回飛行は困難であり、直線飛行による性能向上が目標となった。競技形式も、直線飛行の距離・滞空時間・速度などの記録を比較するものであった。A字型機は、このような環境に適合し、発達した。 1912年の、最初の公式記録会においては、A字型機が手投げ発航(ハンド・ランチ)によって次の記録が樹立した。 滞空時間 60.4秒(C.R.フェアリー) 飛行距離 320ヤード(約290m: R.F.マン) 機体の設計は下記のようにそれぞれの種目に特化していて、滞空機は軽く、翼面積が大きく、動力ゴムが細く、低速長時間飛行を指向しているのに対し、距離機は重く、翼面積が小さく、動力ゴムが太く強力で、短時間の高速飛行を指向している。 フェアリー機(滞空) 主・尾翼合計翼面積132平方dm(8.5平方dm)、全重量4オンス(113g)、プロペラ直径9インチ(229mm)、動力ゴムは1/8インチ(3.2mm)幅平ゴム8条 マン機(距離) 主・尾翼合計面積94平方インチ(6.1平方dm)、全重量5オンス(127g)、プロペラ直径10インチ(254mm)、動力ゴムは1/8インチ(3.2mm)幅平ゴム14条×1.5オンス(43g) 記録は1914年には、距離590ヤード(約540m、R. ルーカス)、滞空時間145秒(T.D.Cクラウン)まで向上している。また、1923年には、滞空時間247秒が記録されている。 初期の模型飛行機競技で距離種目が多く行なわれた理由は、当時のストップウオッチが高価で、スポーツ用などに簡単に利用できなかったためと考えられる。明治40年(1913年)の服部時計店(現・和光)の商品カタログに拠れば、ストップウオッチの価格は100円前後で、高級官僚の月俸に匹敵した。 しかしながら、1914年の500mを超える飛行距離記録は、公園やゴルフコースでは収まらない長さで、正確な測定が困難であり、以降は競技の主流が滞空時間に移った。1928年に開始されたウエークフィールド級国際競技は、胴体の中にゴムを搭載した機体による滞空競技であり、A字型機と距離競技は姿を消した。
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