磐越西線特急への再編
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1993年(平成5年)12月1日より郡山駅 - 会津若松駅間を運行する特急「ビバあいづ」運転開始。土休日や多客期には一部列車が会津若松駅 - 喜多方駅間を延長運転。運転時間1時間、走行距離64.6kmと短距離短時間の特急列車であったことから、編成には様々な特色が設けられた。3号車に組み込まれたモハ485-1008は「インビテーションカー」と称し、フリースペースを設け、会津の物産の展示などが行われた。同車には会津若松市観光協会の職員が1名乗務していた。 特急列車の車内放送冒頭で使用する車内チャイムのオルゴールは汎用される鉄道唱歌ではなく、会津地方の民謡「会津磐梯山」のオルゴールを使用。 専用編成が仙台電車区配置の1編成のみであったことから、月1回帰区する際は運休・代替快速列車を運転したほか、長期検査時には後述する他区所の485系で代走するケースもあった。 「ビバあいづ」専用編成 ← 会津若松 郡山・喜多方 → クロハ481-1501モハ485-1053モハ484-1053モハ485-1008モハ484-1008クハ481-3451998年(平成10年)12月:「インビテーションカー」運用を終了。普通座席車に復元するとともに全検入場したため、11月10日 - 12月15日の間は勝田電車区から「ひたち」塗装の485系6両編成(K5編成)で代替運転された。 1999年(平成11年)12月:「ばんだい」のグリーン車・普通車指定席の設定を終了。ただし座席や車内設備は一部を除きそのままの状態で維持された。 2001年(平成13年)7・8月:「ビバあいづ」編成の長期検査のため、約1か月間にわたり青森運転所の485系6両編成(国鉄色)で運転。 2001年(平成13年)12月8日・9日:上野 - 会津若松間で特急「あいづ」復活運転。青森運転所の485系6両編成を使用。なお12月1 - 7日の間は、「ビバあいづ」編成がATS-P形取付工事のため運休し、同編成が「あいづ」として郡山 - 会津若松間で運行された。 2002年(平成14年)3月23日:磐越西線で土曜・休日ダイヤを施行。これにより、土曜日・休日に限り「ビバあいづ」の名称を「ホリデービバあいづ」に変更。運転区間も下り1本を除き郡山駅 - 喜多方駅間とし、運行本数を1往復増便の4往復とする。 2002年(平成14年)12月1日:「ビバあいづ」を「あいづ」に、「ホリデービバあいづ」を「ホリデーあいづ」に改称。これに伴い、青森運転所の485系6両編成1本が仙台電車区へ転属となり「あいづ」に投入された。「ビバあいづ」編成は12月7日の「さよならビバあいづ」を最後に磐越西線から撤退した。 またこの時、自由席特急料金が会津若松駅 - 郡山駅間で950円から距離に関わらず500円と大幅に値下げされた。 2003年(平成15年)1月:1982年の「いなわしろ」廃止後に消滅していた仙台方面からの乗入れ列車が、臨時快速「白虎」で21年ぶりに運転。
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