石油、映画および軍事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/23 14:58 UTC 版)
「カリフォルニア州の歴史」の記事における「石油、映画および軍事」の解説
1920年代、北部のロサンゼルス郡ニューホール近くで最初の石油が発見された。間もなくロサンゼルス盆地やカリフォルニアの他の地域でさらに多くの石油が発見された。これが間もなく州南部では最も利益を生む産業になった。 20世紀の最初の10年間は、映画撮影所も興隆した。MGM、ユニバーサルおよびワーナー・ブラザースが全て、ロサンゼルス郊外の「ハリウッドランド」と呼ばれた小さな区画だったハリウッドで土地を獲得した。 間もなく、国中特に中西部からのアメリカ人は、カリフォルニアの温暖な地中海式気候、安い土地およびトラックで行けば直ぐに多様な地形を見られるこの地域に惹き付けられた。この時代の多くの西部劇は、シエラネバダ山脈の東、そこには全米で一番高い山であるホイットニー山が聳え、そのオーウェンズ・バレーで撮影された。砂漠のシーンはモハーヴェ砂漠や、西半球で最も低い地点でありかつ最も暑いるデスバレーで撮影された。海賊映画はカーメルで撮影された。冬のシーンはサンベルナルディーノ山で撮影された。地中海や合衆国東部が舞台の映画は、ロケ地で撮られるか、スタディオ地域の戸外セットで撮られ、雨や雪の降らし装置が必要だった。 1930年代までにショービジネスがラジオの普及と共にその人口を増やし、20世紀半ばまでには、南カリフォルニアは大きなテレビ番組制作所が集まり、NBCやCBSのような主要ネットワークのためのスタディオが備えられた。1934年の州知事選挙で、小説家のアプトン・シンクレアは世界恐慌に対する急進的反応を示した社会主義者のEPIC運動(カリフォルニアの貧乏追放運動)のプログラムに載って出馬したが、民主党候補に僅差で敗れた。 第二次世界大戦の間、カリフォルニアの温暖な気候が戦争遂行に大きな資源となった。多くの航空訓練基地が南カリフォルニアに作られ、そこにはダグラス・エアクラフトやヒューズ・エアクラフトのような飛行機製造会社が工場を拡張したり新設した。アメリカ海軍の主要造船所はサンディエゴ、ロングビーチおよびサンフランシスコ湾で拡張されまた新設された。サンフランシスコはリバティ船の基地でもあった。
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