真如苑としての出発とは? わかりやすく解説

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真如苑としての出発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:17 UTC 版)

真如苑」の記事における「真如苑としての出発」の解説

この事件による教団打撃大きく教団危機的状態になったが、立て直しをはかり、1951年大般涅槃経所依経典とし「真如苑」と改称1952年7月文部省宗教法人法に基づき書類提出し翌年5月認証された。真乗は管長辞し教主となり、友司が苑主に就任した1957年3月教主真乗が新道場の本尊なる丈六(約4.8メートル)の大涅槃像(塑像)を自刻造立、謹刻開始から完成まで80日という短時日での聖業であった。翌1958年5月新道場が落慶これを機に涅槃経主軸とする教理体系充実、まこと教団時代開講開発した教師養成機関「智流学院」「接心修行」を軸に、体制出家仏教基盤とする在家仏教教団として整備、このことがのちの教団躍進嚆矢となった。また従来僧衣平服・襟袈裟(折五条袈裟)に、剃髪から有髪とし、真乗も円頂から蓄髪となって出家在家隔て超えての独自の修行法確立に、戦後混迷期革新的在家教団として面目躍如たるものがあった。1966年3月醍醐寺より、教主真乗に大僧正位、苑主友司(僧名 眞如)に権大僧正位が贈られた。7月タイ国パクナム寺院より、仏舎利奉戴された。11月真如苑一行が、タイ国開催された「第8回世界仏教徒会議」に日本代表として出席その後インド巡り仏跡訪ねた1967年6月には、「欧州宗教交流親善使節団」として欧州7ヵ国とイスラエル訪問英仏仏教会はじめ聖書協会との交流6月28日には、バチカンにおいて、ローマ教皇パウロ6世謁見欧州帰国後の8月、苑主友司が急逝した。友司には、醍醐寺より、女性として初の大僧正位が追贈された。

※この「真如苑としての出発」の解説は、「真如苑」の解説の一部です。
「真如苑としての出発」を含む「真如苑」の記事については、「真如苑」の概要を参照ください。

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