真如苑としての出発
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この事件による教団の打撃は大きく、教団は危機的状態になったが、立て直しをはかり、1951年に大般涅槃経を所依の経典とし「真如苑」と改称。1952年7月、文部省に宗教法人法に基づき、書類を提出し、翌年5月に認証された。真乗は管長を辞し教主となり、友司が苑主に就任した。 1957年3月、教主真乗が新道場の本尊となる丈六(約4.8メートル)の大涅槃像(塑像)を自刻造立、謹刻開始から完成まで80日という短時日での聖業であった。翌1958年5月、新道場が落慶。これを機に、涅槃経を主軸とする教理体系を充実、まこと教団時代に開講、開発した教師養成機関「智流学院」「接心修行」を軸に、体制を出家仏教を基盤とする在家仏教教団として整備、このことがのちの教団躍進の嚆矢となった。また従来の僧衣を平服・襟袈裟(折五条袈裟)に、剃髪から有髪とし、真乗も円頂から蓄髪となって、出家・在家の隔てを超えての独自の修行法確立に、戦後混迷期の革新的在家教団として面目躍如たるものがあった。1966年3月、醍醐寺より、教主真乗に大僧正位、苑主友司(僧名 眞如)に権大僧正位が贈られた。7月、タイ国・パクナム寺院より、仏舎利が奉戴された。11月、真如苑一行が、タイ国で開催された「第8回世界仏教徒会議」に日本代表として出席、その後インドを巡り、仏跡を訪ねた。1967年6月には、「欧州宗教交流親善使節団」として欧州7ヵ国とイスラエルを訪問、英仏各仏教会はじめ聖書協会との交流、6月28日には、バチカンにおいて、ローマ教皇パウロ6世と謁見。欧州帰国後の8月、苑主友司が急逝した。友司には、醍醐寺より、女性として初の大僧正位が追贈された。
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