省轄市時期(1945年 - 1979年)
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日本の敗戦により台湾は中華民国に接収されることとなった。1945年11月8日、台湾省行政長官公署は連謀を派遣し高雄市を接収、12月6日に高雄市政府が正式に成立し連謀は初代為市長に就任した。1946年1月、行政区域の再編が行われ塩埕区、鼓山区、左営区、楠梓区、三民区、新興区、前金区、連雅(1952年に苓雅と改称)、前鎮区、旗津区が設置された。1947年5月、台湾行政長官公署は省政府に改称されると高雄市も台湾省政府の管轄となり省轄市となった。 戦災により重大な被害を受けた高雄港は、高雄港務局により1945年から1952年にかけて障害物の除去と埠頭の再建事業を展開した。さらに日本が建設したアルミ、肥料、コンクリート、石油精製、鉄鋼、機械などの産業を接収・復興させ、前鎮港区一帯は工業地区としての景観を取り戻している。1953年より国民政府は第一期四年経済建設計画を発表、高雄市を工業経済発展のための重点地区と策定した。1958年には続いて高雄港十二年拡張計画を発表、高雄港臨海工業区の建設が着手されている。1962年以降は外国資本を受け入れ、また高雄港には「加工輸出区設置条例」の対象とするなど工業化のための政策が実施された。1966年にはその高雄臨海工業区及び高雄加工輸出区第一期工事が完成、その後は大型造船所、製鉄工場、石油化学コンビナートが相次いで建設され、1970年代以降は台湾における重工業地帯としての高雄の地位を確立した。これらの工業化の過程で高雄市の開発も進み、駅を中心に南北及び東方向への都市化が進んだ。
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