相次ぐ離党者や出馬断念、民主党政権崩壊前後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:55 UTC 版)
「社会民主党 (日本 1996-)」の記事における「相次ぐ離党者や出馬断念、民主党政権崩壊前後」の解説
2012年11月15日、社民党による政策実現に疑問を持った阿部知子が離党届を提出し日本未来の党に合流した。さらに、第46回衆議院議員総選挙の陣頭指揮をとるはずだった幹事長の重野安正が脳梗塞で入院したため、11月18日に出馬断念に追い込まれた(重野の選挙区には吉川元が出馬)。 同選挙では第三極の台頭もあって、旧来政党でしかも小規模な社民党は新党乱立の中で埋没し、これまで以上の苦戦を強いられた。毎回安定した戦いを見せる照屋寛徳の沖縄2区を除く全議席が当落線上にあったものの、辛くも比例九州ブロックで1議席を確保。しかし総獲得議席数は小選挙区・比例各1議席ずつの合計2議席と、公示前の半減、阿部離党前と比すと3分の1に減少。比例代表における得票率は2.3%(前回総選挙は4.27%)、得票数は142万票(同300万票)とほぼ半減した(11ブロック中6ブロックで得票率が有効得票数の2%に達せず、新聞広告公費負担から外れた)。同じく第三極台頭の中で埋没した共産党が、議席減を1(9→8議席)にとどめて比較的善戦したのとは対照的な結果となった。 第18回東京都議会議員選挙(2013年6月23日投開票)では1人を擁立したものの議席獲得はできなかった。 第183回国会会期末の6月25日に安倍晋三内閣総理大臣に対する問責決議案を生活の党及びみどりの風とともに参議院に共同提出し可決させた、その結果、電気事業法改正案や生活保護法改正案などが審議未了のまま廃案となった。 2013年7月21日の第23回参議院議員選挙では、先の衆院選時における新党・第三極ブームは収まったものの、与党が圧勝し、参議院でのねじれ解消という展開となった。その中でも共産党や日本維新の会・みんなの党といった中堅野党勢力はそれぞれの反与党票を確保し比較的堅調な戦いを見せ、公示前より勢力を拡大させた。一方の社民党は民主党や生活の党などと共に、反与党票の受け皿とはなり得ず、逆に公示前より勢力を減らした。同選挙では選挙区に5人、比例区に4人擁立したが、比例で1議席(又市征治)を獲得するに留まった。この選挙でもかろうじて得票率が2%を越え、国会に議席が存在する限り2019年まで政党要件喪失を回避する結果とはなったものの、退潮傾向に歯止めがかからないことに変わりはなく、選挙結果を受けて党首の福島瑞穂は引責辞任を表明した。 後任を巡る党首選挙では吉田忠智政審会長(参議院比例区)と石川大我豊島区議会議員が立候補し、社民党としては初、旧社会党時代から数えても17年ぶりの党首選挙が実施された。結果は、9986票対2239票で吉田が選出された。 詳細は「2013年社会民主党党首選挙」を参照
※この「相次ぐ離党者や出馬断念、民主党政権崩壊前後」の解説は、「社会民主党 (日本 1996-)」の解説の一部です。
「相次ぐ離党者や出馬断念、民主党政権崩壊前後」を含む「社会民主党 (日本 1996-)」の記事については、「社会民主党 (日本 1996-)」の概要を参照ください。
- 相次ぐ離党者や出馬断念、民主党政権崩壊前後のページへのリンク