発電力の増強とは? わかりやすく解説

発電力の増強

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 21:10 UTC 版)

中部電力 (1930-1937)」の記事における「発電力の増強」の解説

中部電力では、東邦電力豊橋区域移管によって豊川の3水力発電所豊根発電所総出力5,500 kW)を継承した。また合併した中部電力多治見)は庄内川水系に4か所の発電所総出力779kW)を持った。これらを加えた結果中部電力発足当初発電所水力発電所14か所・総出14,624kWおよび火力発電所2か所・総出11,200kWを保有した発足後1930年代通じて中部電力水力電源増強注力した。まず1934年昭和9年11月愛知県東加茂郡阿摺村(現・豊田市)にて出力4,000kWの阿摺(あすり)発電所完成させた。矢作川本流部、百月発電所三河水力電気越戸発電所の間に位置する発電所で、1924年4月水利権取得岡崎電灯時代から着工準備済ませていた地点にあたる。次いで1935年昭和10年7月岐阜県恵那郡串原村(現・恵那市)、矢作川水系明智川岐阜県)にて出力1,000kWの明知川発電所も運転を開始した。なお岐阜県では、これに加えて土岐郡稲津村(現・瑞浪市)にある庄内川水系小里川小里川第四発電所出力100kW)を1935年昭和10年2月1日付で伊藤専一から譲り受けている。 合併による発電所取得もあった。水窪川水力電気詳細後述)の合併では西渡発電所出力2,400 kW)を、天竜電気詳細後述)の合併では気田発電所出力2,437 kW)をそれぞれ引き継いでいる。静岡県側天竜川水系発電所であり、西渡発電所水窪川、気田発電所気田川位置するどちらも岡崎電灯時代発電所完成時から地元供給分を除き発生電力岡崎電灯へと送電していた。両発電所取得後中部電力では静岡県内自社発電所建設着手した1つ目は気田発電所の上流側に位置する豊岡発電所2つ目は西渡発電所既設流木路を活用する土場発電所である。豊岡出力8,130 kW土場出力275kWの発電所として東邦電力との合併後にあたる1938年昭和13年2月3月完成をみた。 1937年8月東邦電力合併する際の発電力は、水力発電所19か所・総出24,564 kW工事中除く)、火力発電所1か所・出10,000 kW岡崎火力発電所廃止であった

※この「発電力の増強」の解説は、「中部電力 (1930-1937)」の解説の一部です。
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