仮発電所建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/13 02:13 UTC 版)
串原発電所は第一次世界大戦を背景とした大戦景気による、急激な電力需要増加に対処するために建設された。発電力の増強を急ぐため、1921年の本発電所完成を待たずに1918年(大正7年)仮発電所が竣工している。ここではこの仮発電所についてまず記述する。 串原仮発電所の建設を手掛けたのは、明治・大正期における名古屋市の電力会社名古屋電灯である。同社は他の事業者が有利な地点ではないとして出願していなかった矢作川上流部の串原地点に目をつけ、1915年(大正4年)9月にその水利権を出願した。当初計画では取水堰・取水口を串原村字森上に、発電所を段戸川合流点の上流にあたる同村字釜井に置き約4,600キロワットを発電する計画であったが、その後の設計見直しで取水堰・取水口がやや上流へ、発電所が段戸川合流点の下流側へとそれぞれ移され、有効落差を増加させて有利な発電地点に改められた。 1917年(大正6年)2月から3月にかけて、名古屋電灯では水利権申請中の串原地点について、上半分の水路工事を急いで串原村字相走に出力2,000キロワットの臨時発電所を設置するとして当局へ許認可を申請した。当時、名古屋電灯では大戦景気による需要急増によって供給力が不足する状態で、木曽川の賤母発電所や熱田火力発電所の新増設を計画していたものの、大戦のため設備の速やかな輸入は困難になっていた。そこで既設長良川発電所の予備水車発電機1台を活用し、臨時発電所を急設して逼迫する需給を緩和する計画を立てたのである。同年5月、水利権許可をまだ得ていないにもかかわらず工事を急ぐため着工。2度にわたり岐阜県から工事中止命令を受けるものの9月には水利権が許可され、水路工事の実施認可も取得して工事を継続した。 着工から11か月後の1918年4月18日に串原仮発電所は竣工、同年6月4日に逓信省より仮使用認可を得て運転を開始した。
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