発表時の評価
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「バルコニー (マネの絵画)」の記事における「発表時の評価」の解説
マネは、本作品を、『アトリエの昼食』とともに1869年のサロン・ド・パリに提出し、入選した。 着想源となったゴヤの作品と異なり、本作品では、人物がそれぞれ別の方向を見ており、物理的にも精神的にも交流が見られない。明快な物語性もない。このことが、批評家から厳しい非難を浴びる原因となった。 サロンの初日に見に行ったベルト・モリゾは、次のように書いている。 私の最初の関心は、Mの部屋へ行くことでした。そこで当惑したようなマネを見つけました。彼は自分で見に行く勇気がないので、私に絵を見てきてくれないかと頼みました。そのように複雑な表情をした彼の顔を見たことはありません。[中略][『バルコニー』の中の]私は醜いというより風変わりな女で、ファム・ファタール(宿命の女)という呼び名が好奇心の強い人たちの間に広まっているようです。 — ベルト・モリゾ、姉エドマ宛書簡 保守派の批評家アルベール・ヴォルフ(英語版)は、次のように批判した。 彼は魅力的な男であり、さらに「機知に富む人間」であるらしい。[中略]このように全てを兼ね備えた画家が、なぜ『バルコニー』の緑色のブラインドの中にいるような、ぶざまな絵を描くようになるのだろうか。彼は家のペンキ塗り競争に参加するようなところにまで、自分を貶めている。本当に腹の立つことだ。 — アルベール・ヴォルフ、『フィガロ』紙(1869年5月) 別の批評家は次のように批判している。 一体この善良な人たちはバルコニーで何をしているというのだ。哲学的意義を解明するのが得意なプロシャの批評家でさえ、それを解き明かすのは極めて難しい。彼らがどのようなタイプの人間なのか、どのような感情を抱いているのか、どのような思想の持ち主なのか、そうしたことをこの絵の中に詮索しても無駄である。[中略]マネの絵は、静物画の面白みがあるだけだ。 — ポール・マンツ、『ガゼット=デ=ボザール』紙(1869年7月) 印象派に好意的だった批評家ジュール=アントワーヌ・カスタニャリも、次のように否定的な評価を書いている。 マネの作品では、登場人物はなんの脈絡も関連もなく配置されている。その結果、何を考えているのか不明瞭で不確かになるのだ。 — カスタニャリ、『ル・シエクル』(1869年6月11日)
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発表時の評価
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「テュイルリー公園の音楽会」の記事における「発表時の評価」の解説
本作品は、1863年、マルティネ画廊での個展で、『街の女歌手』や『ローラ・ド・ヴァランス』とともに展示されたが、酷評された。 批評家たちは、「縁日の音楽が耳を傷つけるように、目を傷つける」作品であるなどと批判した。下絵のような荒々しいタッチが不評を招いた。 他方、フレデリック・バジール、クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワールといった若い画家たちは、人々のありのままの姿を描いた本作品に新しさを見出し、後の印象派の一つの起源となったと評されている。
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