発端、新日本プロレスVS誠心会館の抗争とは? わかりやすく解説

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発端、新日本プロレスVS誠心会館の抗争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 14:12 UTC 版)

平成維震軍」の記事における「発端、新日本プロレスVS誠心会館の抗争」の解説

1991年平成3年12月国際空手拳法連盟誠心会館」の館長務め空手家青柳政司新日本プロレス参戦しており、異種格闘技戦などを通じてその名が知られていた。12月8日後楽園ホール大会において会場入りした青柳荷物運び為に門下生1人選手控室入れていたが、この門下生ドア開けたまま退出した事について小林邦昭注意し問答の末に門下生殴って負傷させる事態発生する。この事を知った誠心会館の他の門下生達が激怒し12月11日名古屋レインボーホール大会で直接抗議訪れ12月16日大阪府立体育会館大会で駐車場において小林襲撃したこうした状況の中、誠心会館中心メンバーである齋藤彰俊前述襲撃騒動参加していなかったが、本人曰く知らないうちに黒幕として扱われしまっていた)に対し当時新日本フロント務めていた永島勝司から、「東京ドーム挑戦状読めるなら参戦考える」とオファー出され1992年平成4年1月4日東京ドーム大会において、齋藤筆頭誠心会館門下生リング上がり挑戦状読み上げて完全決着抗争が始まる。1月30日小林齋藤による異種格闘技戦が行われ、齋藤勝利。続く2月8日新日本若手一角であった小原道由にも勝ち、当時週刊プロレス表紙抜擢する程のインパクト残した躍進する齋藤勢い押され新日本だったが、小林加えて越中詩郎出陣し徐々に戦況覆す事に成功これまで一歩引いた立場から見守っていた青柳抗争加わり4月30日には小林進退届と誠心会館看板お互いに賭けられ小林齋藤再戦し、小林リベンジ果たした事で誠心会館看板新日本プロレス預かりとなった(後に看板返還されている)。翌日には越中青柳対戦し越中返り討ち成功している。

※この「発端、新日本プロレスVS誠心会館の抗争」の解説は、「平成維震軍」の解説の一部です。
「発端、新日本プロレスVS誠心会館の抗争」を含む「平成維震軍」の記事については、「平成維震軍」の概要を参照ください。

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