発端 ツール・ド・フランスにおける利権争い
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「パリ〜ニース2008」の記事における「発端 ツール・ド・フランスにおける利権争い」の解説
国際自転車競技連合(UCI)と、当レースの主催者であるアモリ・スポル・オルガニザシオン(ASO)は、制定当初より、2005年より開始されたUCIプロツアーに対する主導権を争い対立してきたことにより、2008年の開催から、パリ〜ニースはUCIプロツアー対象レースから外れることになった。 当年のシクロクロス世界選手権開催期間中にUCIと、ASOを含めたグランツールの主催者グループとの間で会談が行われた。UCIはジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャの2レースについて、UCIプロツアーの下部組織であるUCIヨーロッパツアーに組み入れるという姿勢をとっていた。これを不当であるとした主催者グループ側が対案として以前から提案していた新シリーズの導入に対し、UCIも大枠では各国の自転車競技連盟とともに同意したと見られる。しかしその代わりにツール・ド・フランスについては、UCIプロツアー全18チームを招待するという条件をつけ、ASOが態度を硬化させた。
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