発端となった判決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:29 UTC 版)
「最高裁判所誤判事件」の記事における「発端となった判決」の解説
山梨県北都留郡巌村(現:上野原市)で起こった強盗致死事件について、東京高等裁判所刑事八部は旧刑事訴訟法(大正11年法律第75号)で審理をおこない、1949年3月1日に無期懲役判決を言い渡した。これに対して、大西幸高弁護士が「東京高裁は1948年12月18日に第二回公判を開廷して以来、翌1949年2月15日まで開廷しなかった。これは旧刑事訴訟法第353条の『15日以上開廷しなかったら公判手続を更新すべし』という規定に違反している」という理由で上告した。 最高裁判所第二小法廷(裁判長は霜山精一、他裁判官は栗山茂、小谷勝重、藤田八郎)は同年7月16日に「公判手続を更新した形跡もない」として弁護側の上告を全面的に認めた上で破棄して東京高裁に差し戻した。なお、第二小法廷の裁判官にはほかに塚崎直義がいたが、この判決にはなんらかの理由で関与していなかった。 ところが、旧刑事訴訟法の運用を新刑事訴訟法(昭和23年7月10日法律第131号)に合わせるための刑事訴訟規則施行規則第3条第3項が、新刑訴法と同じく1949年1月1日から施行されており、その規則は「開廷後引き続き15日以上開廷しなかった場合においても、必要と認める場合に限り、公判を更新すれば足りる」と柔軟な対応が赦されるようになっていた。この条文にあてはめると東京高裁判決は適法で、最高裁の判決は「破棄差戻し」ではなく「上告棄却」となる。
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