画家モーフラとゴーギャン
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当初は「罠猟師の小屋」と呼ばれていた。最初にここにアトリエを構えたのはナント出身の画家マクシム・モーフラ(1861-1918) で、ブルターニュから戻った1892年のことであった。彼のアトリエには政治家のアリスティード・ブリアン (1862-1932)、詩人のヴィクトール=エミール・ミシュレ(フランス語版)(1861-1938) らの同郷人や、ポン=タヴァンで知り合ったポール・ゴーギャン (1848-1903) が出入りしていた。モーフラは日記に、「土曜の夜に集まって、哲学、社会学、無政府主義、絵画の革命、芸術、文学、世界、演劇、世の終わり、社会秩序の転覆、人類の革新、地上の楽園…あらゆることが話題になった。話題が尽きれば、また同じ話を繰り返した。(中略)無政府主義者、詩人、画家、そして後に国会議員になったクロヴィス・ユーグ(フランス語版)(1851-1907) は、天井の梁から吊り下げられた古い鉤(かぎ)を見て、『絶望の極みに達したときに首を吊るために、あの鉤に掛ける紐が必要だ』と言っていた。(中略)1893年、誰かがアトリエのドアを叩いた。(中略)ポール・ゴーギャンだった。アストラカン帽を被って、まるで北極から帰ってきたばかりの猟師のようだった」と書いている。さらにゴーギャンはモーフラの素描や習作を見て「あなたが私の芸術を支持する理由がわかる。我々は違う道を歩んでいるが、あなたの道は正しい。この調子で続けなさい」と励ました。 モーフラは同年、『海辺の小道』(リトグラフ, 1893) を制作し、翌1894年には(主に1892年から1897年まで前衛芸術作品を展示していた)ル・バルク・ド・ブートヴィル(フランス語版)で個展を開き、アンデパンダン展に代表作『波』を出展した。同年、「洗濯船」にモンマルトルの無政府主義者が出入りしていたことから警察の手入れがあった後、彼はクリシー大通りに引っ越した。
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