画家ゴッホとの関わり
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「グーピル商会」の記事における「画家ゴッホとの関わり」の解説
画家ゴッホの伯父であるフィンセント・ファン・ゴッホ(画家ゴッホから「セント伯父」と呼ばれる)は、1858年にパリに出てシャプタール通りのグーピル商会本店に住み込んだ。1861年、商会の経営陣に加わったが、健康悪化により1872年に引退し、夏はオランダ・ブレダのプリンセンハーフェ、冬は南仏のマントンで暮らすようになった。6年後、彼は出資を引き揚げた。 「セント伯父」には子供がいなかったが、甥たちが後を継いでくれることを期待して、フィンセント(後の画家)を1869年に、その弟テオドルス(テオ)を1873年に入社させた。1876年、甥フィンセントがレオン・ブッソーから解雇されると、株主間のバランスが崩れ、結果としてテオにチャンスが巡ってきた。テオは1878年のパリ万国博覧会のためパリに呼ばれ、そのままパリに残ることになった。1881年から1890年にかけて、テオはモンマルトル通り店の経営を任され、ジャン=バティスト・カミーユ・コロー、シャルル=フランソワ・ドービニーらバルビゾン派を含む1000点近くの絵を売り上げた。クロード・モネ、カミーユ・ピサロら印象派の単独展を開催したほか、エドガー・ドガ、ポール・ゴーギャンにも注目してこれらの画家の絵を販売した。 甥フィンセントは、商会を去った後、画家となることを決意したが、その時絵の勉強に使ったのが、シャルル・バルグがジェロームと協力してグーピル商会から1868年から1873年に出版した『デッサン教本』であった。
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