画家ドス・パソス
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「ジョン・ドス・パソス」の記事における「画家ドス・パソス」の解説
ドス・パソスは一線級の小説家になる前は、スケッチや絵画を描いていた。絵は1922年の夏、メイン州オガンキット(英語版)のハミルトン・イースター・フィールズ・アート・コロニーで学んだ。それから10年間のドス・パソスの本の表紙と挿絵の多くはドス・パソスの自作絵である。印象派、表現主義、キュビスムの要素を融合させ、ドス・パソス独自のスタイルを創造した。作品は、1922年にニューヨークのナショナル・アート・クラブ(英語版)で、翌1923年に同じくニューヨークのガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニーのスタジオで、それぞれ展示された。 ドス・パソスは偉大な美術家という評価は得られなかったが、一生を通じて絵を描き続けた。作品はスペイン、メキシコ、北アフリカ、それに、フェルナン・レジェ、ヘミングウェイ、ブレーズ・サンドラールら親友とよく行った、パリのモンパルナスの通りやカフェを題材とした。1925年から1927年にかけて、ドス・パソスはニューヨークのNew Playwrights Theatreのために戯曲の執筆と、そのポスター、セット・デザインを手掛けた。晩年はメイン州やバージニア州の家の回りで絵を描くことに精力を傾けた。 2001年、「The Art of John Dos Passos」と題された展覧会がニューヨークのクウィーンズボロー図書館で催され、その後、アメリカ国内を巡回した。
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