田沢湖での「絶滅」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 09:06 UTC 版)
1940年、電力供給増加のために田沢湖の湖水を利用した水力発電所(生保内発電所)が建設された。田沢湖から流出する湖水を賄うため、1940年1月20日から玉川の水を導入したが、玉川毒水と呼ばれる塩酸や硫酸を含む強酸性の水が大量に流入したため、1948年の調査では表層付近のpHが4.8前後と急速に酸性化し、同年にはクニマスの捕獲数はゼロになり絶滅が確認された。1965年の水質調査でも、湖の全域でpH 4.5程度であった。 しかし、それ以前に人工孵化の実験をするため、1935年に本栖湖、西湖、他にも琵琶湖や、詳しい場所は不明だが長野県、山梨県、富山県に発眼卵を送ったという記録があったため、田沢湖町観光協会では1995年11月に100万円、1997年4月から1998年12月まで500万円の懸賞金を懸けてクニマスを捜し、全国から14尾が寄せられたが、鑑定の結果いずれも「クニマス」とは認定されず、発見には至らなかった。 田沢湖での絶滅の根本的な原因は強酸性水の流入であるが、浮上稚魚期のヒメマスはサケ科魚類の中でも酸性の水に極めて弱い特性を持っているとされている。 田沢湖での「絶滅」以後も、田沢湖産クニマスは大正時代に京都大学教授・川村多実二によって採取された9個体が存在し、京都大学旧大津臨湖実験所に保管され、現在は京都大学総合博物館に所蔵されている。これを含めて日本国内に14個体、アメリカに3個体が現存する。DNAによる復活も期待されて分析を行ったが、ホルマリンによりDNAそのものが切断されていることが判明し、復活は絶望視されていた。
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