田母神論文問題による更迭以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:41 UTC 版)
「田母神俊雄」の記事における「田母神論文問題による更迭以後」の解説
「頑張れ日本!全国行動委員会」代表として講演。2010年2月2日、頑張れ日本!全国行動委員会結成大会 フジテレビ抗議デモに参加しフジテレビに抗議書を提出する田母神(2011年8月21日) 2008年10月31日、アパグループ主催の第1回『「真の近現代史観」懸賞論文』 に応募した「日本は侵略国家であったのか」 が最優秀藤誠志賞を受賞。同論文が政府見解と異なる主張であるとして問題視され、航空幕僚長の職を解かれ航空幕僚監部付となる。同日付で「航空幕僚長たる空将」でなくなったことにより、一般の空将と同様の60歳定年が適用され6ヶ月の定年延長が発令。11月3日、定年延長が11月3日までとされ、同日をもって定年退官。詳細は「#最優秀藤誠志賞受賞論文」および「田母神論文問題」を参照 2009年2月、株式会社田母神事務所を設立、代表取締役に就任。 8月6日、広島市中区のメルパルク広島で「ヒロシマの平和を疑う」との題目で講演を行う。詳細は「2009年の原爆忌における田母神俊雄講演会問題」を参照 11月、自民党から自衛隊OBの目玉候補として2010年の第22回参議院議員通常選挙で比例区への立候補を打診されたが断った。 2010年2月2日、日本文化チャンネル桜社長の水島総らと共に政治運動団体「頑張れ日本!全国行動委員会」を結成し、会長に就任。 10月、尖閣諸島中国漁船衝突事件をきっかけに、東京を含む主要7都市で尖閣諸島を巡る反中デモを主催。 12月、田母神事務所を解散し、個人商店化と住所移転(赤羽へ)を登記。 2011年8月、フジテレビが偏向報道を行っているとしてフジテレビ抗議デモに頑張れ日本!全国行動委員会会長として参加し、フジテレビに抗議書を提出した。詳細は「頑張れ日本!全国行動委員会#フジテレビ関連」および「フジテレビ抗議デモ」を参照 2012年5月14日、世界ウイグル会議代表者大会に出席。 8月19日、尖閣諸島領海での慰霊祭に参加(日本人活動家尖閣諸島上陸事件)。この翌月は、2012年の中国における反日活動や2012年尖閣諸島抗議デモが起こった。 2014年1月7日、猪瀬直樹東京都知事の辞職に伴い行われた東京都知事選に立候補、同年2月9日に行われた投票で61万865票を集めるも、全立候補者16人中4位の得票数に終わり落選。詳細は「#2014年東京都知事選挙」を参照 8月31日、一身上の都合により「頑張れ日本!全国行動委員会」会長を辞任。 9月25日、太陽の党代表幹事ならびに国民運動本部長に就任。 11月28日、同年12月14日に行われる第47回衆議院議員総選挙に立候補することを表明 し、次世代の党公認で東京都第12区にて出馬するも最下位で落選。 2016年4月14日、都知事選における選挙運動の中に、公職選挙法違反と疑われる行為があり、逮捕となった。 9月29日、保釈保証金600万円で保釈される。以後は#公選法違反で逮捕・有罪判決が確定を参照。
※この「田母神論文問題による更迭以後」の解説は、「田母神俊雄」の解説の一部です。
「田母神論文問題による更迭以後」を含む「田母神俊雄」の記事については、「田母神俊雄」の概要を参照ください。
- 田母神論文問題による更迭以後のページへのリンク