生没年および享年に関する研究史とは? わかりやすく解説

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生没年および享年に関する研究史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 06:59 UTC 版)

足利家時」の記事における「生没年および享年に関する研究史」の解説

時の生没年没年齢(=享年)については諸説ある。 『尊卑分脉』の家時の傍注では「早世廿五才」(享年25)とする(生没年について明記なし)。 『続群書類従所収足利系図」では、文保元年1317年6月25日切腹享年35逆算する弘安6年1283年生まれ)とする。 「新田足利両家系図」や鑁阿寺位牌では命日延慶2年1309年2月21日とする。 『蠧簡集残編 六』所収足利系図」(東京大学史料編纂所架蔵謄写本)では、「弘安七年廿五日、廿七歳」〔原文ママ〕とする(没月が不明だが、逆算する正嘉2年1258年生まれ)。 「滝山寺縁起温室番帳に「同(六月)廿五日 足利伊予守源ノ家時、弘安七年逝去、廿五歳、」とあり 、逆算する文応元年1260年生まれ。 まず、臼井信義の説(1969年)に基づいて記述する嫡男の貞氏については、元弘元年1331年9月5日59歳亡くなったとする『尊卑分脉』の記載により文永10年1273年生まれ分かるので、2の説を採った場合は子の貞氏が親の家時よりも10年早く生まれたことになって矛盾する。その他、2の没年月日に1の享年25採用した場合は家時が永仁元年1293年生まれ、3の説を採用した場合建治元年1275年享年35場合)または弘安8年1285年享年25場合生まれとなるので、いずれでも矛盾するまた、現存する古文書によって家時の活動期間おおよそ文永6年1269年)~弘安6年1283年)と推定できるので、このことも生没年生きた年代特定する根拠となる。そして、当主としての文書発行年齢考えた時、文永6年段階15歳仮定する建長7年1255年生まれとなるので、享年35とした場合正応2年1289年死去となる。正応2年将軍惟康親王廃され次の久明親王鎌倉迎えられた年であり、臼井は家時の死(自殺)をこれに関連したものと推測された。 その後小谷俊彦の説(1977年)では、弘安7年1284年7月26日広橋兼仲日記勘仲記』による、後述参照)から史料上での貞氏の初見である永仁2年1294年)までに家時の死およびそれに伴う当主交代があったと推定された。その間弘安9年1286年3月2日足利氏執事高師氏高氏法名心仏)の奉書発給されており、その他の執事奉書とは違って足利氏当主袖判がないが、これは足利氏当主年少でまだ自身花押有していなかったからであると考えられる。従って、家時の没年月日弘安7年7月26日から同9年3月2日の間に推定することができ、その間弘安8年1285年)に起きた霜月騒動連座して亡くなった推測される。 以上のような小谷説はその後足利家菩提寺滝山寺三河国額田郡)に残る「滝山寺縁起」の、正安3年1301年)に貞氏が亡父17年法要に際して滝山寺額田郡内の所領寄進して如法堂を建立したとする記録によってその正確性証明された。これが、「滝山寺縁起」を信憑性の高いものと認定し、その記載により弘安7年6月25日1284年8月7日)に25歳亡くなったとする、5の説(新行紀一による)である。これについては、『勘仲記同年7月26日条の段階知顕が伊予守補任されていることが確認でき、これは前任者の家時がこの時までに亡くなったからであるとのことで、前述臼井による正応2年1289年死去説は否定された。新行の弘安7年死去説は、のちに前田治幸らにも採用されて、最新の説となっている。 尚、従来までは2の文保元年1317年死去説が通説であったが、2の没年月日は『蠧簡集残編 六』所収足利系図」(4と同史料)における家時の孫(貞氏の子)・高義のそれにほぼ一致しており混同したものとみられる

※この「生没年および享年に関する研究史」の解説は、「足利家時」の解説の一部です。
「生没年および享年に関する研究史」を含む「足利家時」の記事については、「足利家時」の概要を参照ください。

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