生没年と名について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/25 00:10 UTC 版)
『幕府祚胤伝』には「光松院」と記載され、元禄4年9月19日没とされているが、これは誤りである。東京都文京区高林寺にある昌子の墓(織田家の墓に合葬)の墓碑銘には「松孝院殿妙行日久大姉 元禄3年9月19日没」と記載されている。松孝院の生年に関しては『幕府祚胤伝』に記載の年齢(78歳没)に従えば慶長19年(1614年)誕生となる。 彼女の名前について、松孝院の供養塔がある鎌倉市薬王寺の寺伝によれば、法名の「日久」は幼名にちなんだものとされている。また昌清尼の墓所がある文京区昌清寺の寺伝によると、忠長の正室が自らの名の一字を与えて昌清尼と名乗らせたとされている。
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